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 3月17日に伊丹市南野のラスタホール「生涯学習センター」で第11回国際交流「草の根の集い」が開催されました。
この事業は、例年伊丹市国際友好都市協会と伊丹市が主催して国際交流に関するテーマで講演会などが開催されます。 
 今年は友好都市中国佛山市の外事弁公室の張兵(チョウ・ヘイ)国際交流科長より「伊丹市との友好都市交流事業」に関する講演がありました。
 張兵氏はこれまで伊丹市と佛山市の友好の掛け橋となって代表団の日本語通訳として度々伊丹に来ており今年3月まで徳島県の国際交流員として来日されていました。
 そして第2部として来日以来中国語で日本の童謡などを自ら作詞し活躍されている中国人歌手李広宏氏(ホームページへの中国語で歌う「日本の心の歌」がありました。
 李広宏氏のホームページでは"うさぎ追いし。。”の唱歌「故郷」中国語バージョンが聞けます

当日は李広宏氏の独唱だけでなく彼が1972年に日本と国交回復以降に、中国のラジオで聞いた”夏の思い出”に大変感動されました。そして何とロマンチックな音楽が生まれる日本という国に強い関心と興味が湧き、ついに1987年に留学のチャンスがあり来日を決意されました。
 本人の話では当時の日本の成田空港から東京までの風景からは中国で聞いた”はるかな尾瀬”とはかなりイメージが違っていてがっかりしたこと。また苦学をつづける苦しい当時の生活で日本の童謡が彼の心を癒し、励ましてくれたことなど様々なエピソードを交えた講演がありました。
 今月は、彼の人生の転機となった”夏の思い出”にこだわり昨年3月の「早春賦」(ページ参照。クリック)に引き続き日本の童謡の魅力について紹介します。
(写真転載はいずれも李広宏氏のCDより引用。左上CDラベル表紙、右下は本人と江間章子氏)

 「夏の思い出」江間章子 作詞 中田喜直 作曲 

               (歌詞省略 H.16.1.31)

    
 日本人ならだれでも知っているこの名曲は1949年に「戦後の国民に夢と希望を与える歌を」と、NHKに頼まれた江間章子さんの詩に、当時、東京音楽学校(現東京芸大)出身の新進作曲家だった中田喜直さんが曲をつけた。 
 作曲した中田喜直氏は2000年5月9日に76歳で亡くなられていますが、生涯作品2000曲以上で数々の名曲を作曲されています。
 季節毎に曲を作曲されている代表作として春は「めだかの学校」、夏は「夏の思い出」秋は「ちいさい秋みつけた」、そして冬は「雪のふるまちを」など、どれもみなさんご存知の曲ばかりです。そしてインターネットで調べていてわかったことですが,なんと彼のお父さんはあの有名な「早春賦」の作曲者中田章氏でした。
 四季折々の叙情歌は、美しい日本の風景を懐かしく浮かび上がらせ心をやさしくする。中田さんは「童謡が歌われなくなったことが、少年犯罪を増加させたのでは」と語った。との記事を見つけました。(中日新聞2000.5.9記事より。但しリンクはトップページのみ許可)
 1980年6月16日発行の「日本の切手歌シリーズ第6集」で、安野光雄の画でこの曲が選ばれた。中田氏は1986年の文化の日に紫綬褒章を受章されています。
 そして作詞者、詩人の江間章子(えましょうこ)さんが『夏の思い出』を作詞したのは51年前、戦時中、彼女が食糧物資を求め、木炭トラックに揺られながら群馬の山あいを訪れた折に、眼前に開けた真っ白な眩しい水芭蕉の花に見愡れたといいます。曲はNHKラジオ歌謡で1949年6月13日より放送され、尾瀬の歌として広く愛唱され尾瀬を一躍有名にしました。
 作詞者江間さんの故郷岩手県西根町では江間章子賞を設けて、3年前から県内の小学生や中学生が書いた詩に賞を贈り、創作活動を応援しています。昨年の10月17日、町民体育館でおこなわれた第3回少年少女の詩「江間章子賞」授賞式には名誉町民の江間章子さんや町長など約500人が出席。応募された1,184編の詩の中から選ばれた66編の作者に賞状などが贈られました。 また米寿を迎えた江間さんの詩業をたたえ「江間章子先生を囲む会」が行われ、江間さんのファンなど約280人が集まりました。 江間さんは昨年、今までの詩業の集大成「江間章子 全詩集」を刊行するなど、現在も第一線で活躍されています。
  
 また当日は「夜来香」「蘇州夜曲」など童謡以外にも素晴らしい歌があり、李広宏氏が日本語と中国語の違いから翻訳表現に苦労した事や、著作権の難しさなど、おもしろい話がありました。とくに彼が翻訳作詞した日本の「蘇州夜曲」は、サントリーのウーロン茶のCMで流れている中国語の歌に使われているとのことでした。調べたところサントリーのCMソング「春の汽笛」篇/オンエア開始日 1999. 3. 6/唄 奥居香で、この美しいメロディーは香港映画『宋家の三姉妹』(メイベル・チャン監督/1997年/香港=日本合作)でも使われました。
 劇団四季ミュージカル「李香蘭」を応援するページ:参考。

      蘇州夜曲   服部良一作曲・西條八十の作詞

      (歌詞省略 H.16.1.31)

 旋律の美しさと詩の情緒が見事にとりあった蘇州夜曲は、世代をこえて歌い継がれていく傑作といえます。蘇州夜曲は、服部良一の作曲・西條八十の作詞で李香蘭さんが主演した日中合作の映画「支那の夜」の主題歌だったのです。 (李香蘭、本名山口淑子。元参議院議員である大鷹淑子だそうです。)

 話題がそれて全くの余談になりますが、蘇州といえばマルコポーロが「東方のベニス」と絶賛した美しい水の都で、いまでも多くの日本人観光客が訪れる名所の一つ除夜の鐘で有名な寒山寺があります。
 そしてまた見事な張継の七言絶句「楓橋夜泊」(ふうきょうやはく)で知られています。伊丹市役所1階ロビーに展示されている佛山市コーナーにも佛山市代表団から伊丹市に贈呈された掛軸の中にこの漢詩が展示されています。

  楓橋夜泊  張継
月落烏啼霜満天   江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺   夜半鐘声到客船

月落ち烏(からす)啼(な)いて霜(しも)天に満(み)つ
江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対す
姑蘇(こそ)城外の寒山寺(かんざんじ)
夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)に到(いた)る


*意味の詳しい解説は下記のページURLを参照(クリック)してください。
http://www.cent.saitama-u.ac.jp/kanshi/cyoukei/fuukyo.html

 以前、漢詩を中国語テープで聞いたことがありますが、原語での発音は規則正しい強弱や韻をふんでおり、そのような漢字を選んで創作していく漢詩は、日本の五七五文字の俳句みたいに季語や言葉を選んでつくる難しさがありますが、うまく出来た詩はその音の響きに感動させるものがあります。この詩にある「日が暮れて霜が落ちた寒々とした夜」の情景を7字で心地よい響きの発音に感動したものです。
 漢詩について重ねて余談になりますが、同じ七言絶句でなんといっても印象深かったのは、数年前に皆さんもご存知の山崎豊子原作「大地の子」のTV放映番組がありました。
 その中で、たしか最後あたりで主人公の残留孤児である陸一心青年と日本の実父が観光船で三峡下りをする場面がありました。
 陸一心が船上で李白の詩「早発白帝城」を口ずさみその時に写しだされた船上からの景観と急流の場面のカメラアングルはまさに「千里のこうりょう一日にしてかえる。」と詠われる詩のイメージと非常によくマッチし強く印象に残りました。

 中国政府が予定しているダム建設計画で将来三峡下りが消滅するまでにはぜひ行けたらと、思いを馳せてテレビを見ていたのを思い出しました。
     早発白帝城  李白
  朝辞白帝彩雲間  千里江陵一日還
  両岸猿声啼不住  軽舟己過万重山

朝(あした)に辞(じ)す白帝(はく)彩雲(さいうん)の間(かん)
千里(せんり)の江陵(こうりょう)一日(いちじつ)にして還(かえ)る
両岸(りょうがん)の猿声(えんせい)啼(な)いて住(や)まず
軽舟(けいしゅう)己(すで)に過(す)ぐ万重(ばんちょう)の山

 また関連して調べたところ「蘇州夜曲」などのヒット曲で知られる歌手の渡辺はま子(わたなべ・はまこ、本名・加藤浜子=かとう・はまこ)さんは昨年脳梗塞のため、横浜市の自宅で死去されています。89歳でした。
 昭和8年、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音大)を卒業後、オペラ歌手を目指したが、ビクターと専属契約し歌謡曲の世界へ。昭和11年にヒットした「忘れちゃいやヨ」は歌い方が官能的過ぎるということで発売禁止になった。その後日本コロムビアに移ってからは国民歌謡「愛国の花」、日中戦争下の大陸ブームに乗った「支那の夜」「何日君再来」などエキゾチックな名曲を立て続けに発表上海など戦地への慰問も数多く行った。
 天津駅で終戦を迎えると、収容所の中でも、引き揚げ船の上でも、はま子は歌い続けた。自分の歌に打ちひしがれた人々がハッと顔を上げて明るさを取り戻すのを見ると、「あゝ、よかった。この人元気になった」と喜んだ。そしてまたしても思うのだった。「歌はすごい!」帰国すると、国内には「あの戦争は間違っていた」と言う声が拡がり、戦争犯罪人として捕らえられた人々の家族は「戦犯の子」「戦犯の妻」と後ろ指をさされていた。「冗談じゃないわ。それじゃ国のために命を捧げて戦った人々が可哀想すぎるわよ」とはま子は巣鴨拘置所や、傷病兵、戦犯家族などを慰問して廻っていた。  戦後は戦犯の釈放に尽力したり、施設などへの慰問や寄付を積極的にする一方、「あゝモンテンルパの夜は更けて」「桑港(サンフランシスコ)のチャイナ街(タウン)」のヒット曲を出した。生涯に吹き込んだ曲の総数は約千八百曲に上るという日本歌謡曲史に残る歌手の一人だった。昭和48年、紫綬褒章、昭和56年に勲四等宝冠章を受章されました。 

国際派日本人養成講座のページを参考。

 今回の公演を通じて特に印象深かったのは、歌には人の心を動かせ運命を変える力があるということです。李広宏さんが日本の”夏の思い出”を聞いて日本への関心を高められ、そしていまでは数々の日本の歌を翻訳し中国語で紹介されています。まさに歌を通じて日中友好の掛け橋を担っておられるといえるでしょう。
 そして先人が残した日本の童謡、唱歌などは日本人の感性ともいえるすばらしい歌曲でありもっと大切にしていきたいものです。
 また戦後、渡辺はま子さんの「モンテンルパの夜は更けて」が時のフイリピン大統領の心を動かせ対日感情が非常に厳しい時代に、理不尽に収容されていた多くの日本人の早期釈放に貢献した事。そして日本の愛唱歌が李広宏氏へ感動を与えたことなど、言葉や理性を超えた歌の持つ魅力を大いに認識させられたすばらしい公演でした。


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