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ワシントン桜物語 アメリカと日本の友情を深める花(2)

この記事に関する問い合わせは aranishi@osk.3web.ne.jp まで。
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その後の出来事
無事に植樹式も終わってその内容をこのページに掲載した3月、花便りが聞かれるころになっても国内はじめ米国からも多くの方々からメールが届き、ホームページの反響の高さに驚きました。
その他米国在住の日本人の方や、ワシントン市の広報サイトにこのページが紹介されたので米国の小学生から質問が来たり多くの方から情報等をいただきました。 このページが契機になって、多くの方々に伊丹と桜の関係や日本の桜について内外にアピールできたことに感動しました。
引き続き追記していく予定ですが、関連するページをリンクしたり追記していくに従い非常に読みにくい長文になりましたがご容赦ください。
ワシントンDCの下記の観光案内ページでワシントンの観光情報などに関心のある方はアクセスしてこのHP掲載維持にご協力ください。 ホワイトハウスや議事堂のあるNational Mallの360度パノラマ写真や様々な名所の紹介があり見ているだけで楽しいページです。
(下の行クリックしてください。)
http://DCpages.com/Tourism/Cherry_Blossoms/Web_Sites/International/
また これら米国のページを検索していて偶然に日本から英語で書かれていた伊勢市の辻俊郎さん(E-mail:
ncp@synapse.co.jp )の記事を見つけてお便りしたところ、なんと伊勢市からワシントンへ99年4月7日からハナミズキの女王一行はじめ伊勢市の代表団を送り、4月9日 に行われる「ハナミズキ植樹式」を桜とゆかり深いアーリントン墓地があるタフト大統領の墓前で行なうとのことでした。
尾崎行雄の記念館が伊勢市にもあることは知っていましたが、伊勢市では彼の偉業を顕彰していくために、ゆかりのハナミズキがあり、それにちなんで例年
ハナミズキの女王を市民から選んでいること。そして尾崎咢堂(行雄)の偉業をたたえて咢風会という会があることは知りませんでした。
辻さんのホームページには下記の記事のほか尾崎行雄はじめ伊勢市に関する多くの情報が満載されています。尾崎行雄は日本が誇る政治家の一人として、米国に桜を寄贈しただけでなく彼の略歴などを知ることができます。
●ハナミズキ植樹式 4月9日 開催:午前10時
場所:Taft Grave Site, Arlington National Cemetery

99年春の桜祭りに参加の伊勢市のハナミズキの女王と咢風会の皆様の活動写真が掲載されています。 http://www.synapse.co.jp/esise/gallery.html
尾崎咢堂記念館: 伊勢市川端町97-2 Tel. 0596-22-3198。 
現在の植樹されたハナミズキ 2000年5月撮影(伊丹市のホームページより転載。)
植樹式を終えてから2回目の春を迎えた2000年5月に荻野小学校のハナミズキは見事に美しい白い花が咲きました。
東京都立園芸高校から送られたきた苗は間違いなく米国から贈られた子孫苗です。
この幼木に咲いた可憐な白い花は、まさしく大 正4年に使節団から贈られてきた最初のハナミズキの子孫苗であることが証明されました。
史実によると、大正4年にアメリカの使節が「白いハナミズキ」の苗木40本をたづさえて来日し、その2年後さらにピンクの苗木12本と種が贈られています。
友好のシンボルとして、このハナミズキが荻野小学校児童はじめ、地元東野地区の皆さんと共に、末永く大切に育てられていくことでしょう。
(写真右。荻野小学校付近のハナミズキ並木道路。)
その後、国立公園管理局の桜の歴史のページが更新されており,最後に次の記事内容が記載されていました。
November 15, 1999
- Fifty trees were propagated from the 1400+ year old "Usuzumi"
Cherry growing in the village of Itasho Neo, in Gifu Prefecture of Japan,
and planted in West Potomac Park. It is said that that the 26th Emporer Keitai
of Japan planted the tree 1500 years to celebrate his ascension to the
throne.The "Usuzumi" tree was declared a National Treasure of
Japan in 1922.
1999年11月15日、
日本の岐阜県根尾村にある樹齢1400年以上の”淡墨桜”から採られた50本の苗木が西ポトマック公園に植樹されました。一説によると1500年前に第26代継体天皇が即位を祝
って植えられたものです。淡墨桜は1922年に日本の国宝に指定 されています。(翻訳:制作者)
さっそくインターネットで岐阜県の根尾村を検索し照会したところ根尾村役場総務課洞口様から以下のメールが返ってきました。
(メール内容)
樹齢1500年余の淡墨桜の苗木を、世界的な桜の名所であるアメリカのポトマック公園に植えようと1986年中部電力奥美濃水力建設所長の渡辺氏と、根尾村の当時教育長だった吉田氏が発案し、それに根尾村も協力し植樹に動き出したが、根付きの植物の輸出は米国の植物検疫法が壁となり難航し、土や根のついていない枝を研究用として2人で米国に運んだがこの枝は枯れてしまい、91年に再び新たな枝を運び、アメリカの桜の苗に接ぎ木し、ある程度大きくなったので村長他が1999年の11月15日に植樹をしたものです。 以上のような経緯で50本の桜がポトマック公園に植わっています。
歴史的な日本の桜について検索機能を使ってさらに調べてみると現在言われている日本の5大桜は次のとおりです。
1.埼玉県北本市の石戸蒲ザクラ 2.福島県田村郡三春町の滝桜
3.山梨県武川村の神代桜 4.静岡県富士宮市の下馬桜
5.岐阜県根尾村の淡墨桜
なんとこの淡墨桜は日本の5大桜の1つで、幹の周りが9メートル余、広げた枝は50メートルにもおよぶ巨木桜。満開の頃になるとその花びらが、しだいに薄墨色になっていくことから淡墨桜と呼ばれています。
こののページにリンクしていただいていますが、淡墨桜について紹介されている「根尾一族のゆくえ」のホームページを紹介いたします。
http://www.max.hi-ho.ne.jhttp://www.eonet.ne.jp/~neo1/sub4.htm
より引用。
2001年春、 ワシントンの桜祭りに岐阜県から友好親善団 を派遣し、植樹式や様々な交流事業を開催されました。
その報告書には99年11月にジェファーソン・メモリアル西側に5本、2000年2月にタイダル・ベイスン西のポトマック川沿いに45本の淡墨 が植樹された。暖冬の今年は、例年より3週間ほど早い3月19日頃に見事に開花し、訪れる人の目を楽しませた。との記載があります。
ワシントンに日本から桜が寄贈されそれを契機として日米間で様々な交流が行なわれました。そしてこの交流の歴史は21世紀へと続くことでしょう。
(2005.4.10撮影) 写真をクリックすれば拡大表示します。
現在植えられているワシントンポトマック河畔周辺の桜の種類と本数。
http://www.nps.gov/cherry/chryfaqs.htm より引用。
Count
本数 |
Common Name
桜種類 |
Botanical Name
学 名 |
| 2763 |
Yoshino Cherry |
Prunus x yedoensis |
| 481 |
Kwanzan Cherry |
Prunus serrulata 'Kwanzan' |
| 112 |
Akebono Cherry |
Prunus x yedoensis 'Akebono' |
| 190 |
Takesimensis Cherry |
Prunus takesimensis |
| 50 |
Usuzumi Cherry |
Prunus spachiana f. ascendens |
| 94 |
Weeping Japanese Cherry |
Prunus subhirtella var. pendula |
| 21 |
Sargent Cherry |
Prunus sargentii |
| 21 |
Autumn Flowering Cherry |
Prunus subhirtella var. autumnalis |
| 14 |
Fugenzo Cherry |
Prunus serrulata 'Fugenzo' |
| 2 |
Afterglow Cherry |
Prunus x yedoensis 'Afterglow' |
| 1 |
Shirofugen Cherry |
Prunus serrulata 'Shirofugen' |
| 1 |
Okame Cherry |
Prunus x "Okame" |
| 3750 Total |
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興津果樹研究所とワシントンの桜追記:H20.4.1
このページを見られた山口昭氏から記事紹介のメールをいただきました。 ご本人自身この興津試験場で研究されていたことがあり、本人が興津桜会(興津支場に在籍した技官や職員の同窓会)のメールマガジンに”ワシントンの桜余聞(PDF)”と題して記事を掲載されています。
すでにこのサイトで紹介しているワシントンの桜についての詳しいエピソードや興津果樹研究所内の記念碑の件など。そして関連する著書の紹介もいただきました。
また平成4年に桜を顕彰する記念碑が場内に建立された記事など送付いただき ましので紹介します。
(左の写真は興津果樹研究所内敷地に建立されているワシントンの桜誕生の地碑−平成4年2月11日除幕式)
農林技術新報H.4.2.25より。(クリック拡大表示PDF形式)
ワシントンの桜余聞(クリック)(山口昭氏−興津桜メールマガジン記事より。)
田中彰一著「随筆八十路を越えて」 北泉社1984より。(リンクPDF形式)
−日本桜植樹50周年(1963年)にライシャワー駐日大使から熊谷八十三氏への感謝状が贈呈されたことなどの紹介があります。
原産地の修正要求
再度説明しますが、1912年に日本から送られたワシントンの桜は以上のように、今から90年前に 伊丹市で生産された台木に東京の荒川堤の桜が穂木として清水市の農事試験場(現在の果樹研究所カンキツ研究部)で接木されて送られたものである。
参考:平成15年4月1日より清水市は静岡市と合併。
(カンキツ研究部の住所は静岡市清水興津中町です。)
ワシントンの桜については日本からの贈り物としてよく知られていますが、その桜のルーツはあまり知られていません。
このホームページを作った理由はこの史実を広くアピールしていきたい思いから自然が豊かな伊丹市の紹介として作成したものです。
史実によると、1910年に当時農商務省農事試験場長の古在由直農学博士の指示により興津園芸部の恩田鉄弥部長はじめ桑名、熊谷,堀技師の指導をうけ、伊丹市東野村で育苗された台木15000本が同年11月に興津へ送られています。
そこで接木をされて10ケ月間養生育苗された後、最初の葉が落ちる頃に掘り起こされて、消毒され米国へ出荷したものであります。
そのような事実から桜の苗は伊丹市が原産の地であり、清水市は生育の地といえる でしょう。
*清水市の果樹研究所カンキツ研究部のページへ
(平成11年2月18日産経新聞近畿版夕刊)
新聞記事面をクリックすれば拡大表示します。
また米国ワシントンのNPS(National Park Service-国立公園管理局)ホームページ上の「桜の歴史」の記述には荒川の土手の桜の穂木に 野生の桜株を接木した。と記載されていました。
−以下の記述はワシントンNPS(国立公園管理局)のホームページより
Dr. Takamine again donated the costs for the trees, whose number had now
increased to 3,020. The scions for these trees were taken in December 1910
from the famous collection on the bank of the Arakawa River in Adachi Ward,
a suburb of Tokyo, and grafted on wild cherry root stock.
と以上の通りの記載ですが、正しくは野生種ではなくて、当時は聞くところによると大島桜の品種苗を東野で接木用として育てた。と聞いています。
このように米国のNational Park Serviceの桜の歴史の説明に伊丹の記述がないのが残念です。そんなことは別にどうでもよいと言えばそれまでですが、 郷土史に誇りを持つ伊丹市民として、この歴史的な事実を顕彰していくために大切なことなので引き続きこだわっていました。
桜の原産地である証となる文献を発見!!
すでにこのサイトで説明しておりますが、現在米国のNPS(国立公園管理局)のホームページでは野生種の台木に接木し た。という記述になっています。
なんとかこの記述を正しく伊丹で育成された台木に穂木を接木した。と公式のホームページで紹介してほしい。
そのような願いで、これまで記述内容の修正を要求していくために、適当な証拠となる文献がほしかったのですが、入手できず残念な思いでいました。
その後伊丹市で苗木が用意されたという証となる文献として、東京の憲政記念館に陳列されている保管文書に、明治45年に米国へ送る桜苗について研究を指示された興津(清水市)農業試験所の農務省熊谷技師が作成した報告がありそのコピーがあることを聞き入手しました。
(左の文書をクリックすれば拡大します。)
それが上記の文書で、この「北米合衆国送付スベシ桜苗養成概況」という文中の赤線部分で 取消し線の部分「砧木栽培明治四三年兵庫県川辺郡植木商久保武兵衛」 の記載が確認できます。
*参考:当時の地名は 兵庫県川辺郡稲野村之内新田中野村字東野
また幸い以前に清水市から参考としていただいておりました資料で興津園芸試験所50年小史(昭和27年11月)のコピー中にも、恩田技師が三好博士と桜の品種の選定にあたり 「兵庫県から山桜の実生苗を取り寄せて用いる事とせり。」の記載が見られます。
その時にいただいた米国の農業省発行の National Arboretum Contribution No.4 (The Japanese Flowering Cherry Trees
of Washington.D.C.) の資料には日本から送られた桜についてその経緯が詳しく紹介されております。
その米国農務省の文中には、荒川堤で穂木が採取された事や清水市の興津試験所のことも記載されていました。 しかし残念なことに伊丹の東野村で接木作業をした事実の記載は全くなく、ただ 単に野生の桜株ではなくて原文では以下のとおり記載されています。
in February 1911 they were grafted to specially selected understock.
(訳) 「1911年2月に穂木は 特別に選定された台木に接木された」
憲政記念館
昭和35年に憲政の功労者である尾崎行雄を記念して、尾崎記念会館が建設されましたが、その後これを吸収して現在の憲政記念館が完成しました。
憲政記念館がある衆議院のページ(クリック)
これらの文献から伊丹市で台木を育苗したことは客観的に見ても明らかであります。そこで新たに 英語版のホームページ にその経緯を紹介して、記述修正依頼メールを平成14年2月初旬にNPSへ送付しました。
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伊丹市の育苗が米国内務省のNational Park Service
のページにて紹介される! (2002年2月25日付修正)
1998年秋からこのページを立ち上げて以来、過去にNPSのページ作成者へメールでリンクの依頼や伊丹市の記載がないので修正の要求をしたことがあり、一度はあきらめていましたが、今回の証となる文書入手により再要望し、ついに2月21日に下記のメールが担当者から送られてきました。
Greetings,
I am the Natural Resource Manger for the National Park where the
cherry trees are located in Washington, DC. I have been forwarded
your email and will be passing the information along to the people
who work on our web page to see about adding the information you
have told us about. However, I would hold back on adding the
Blossoms in our Future link to your web site. In the near future
we will be significantly re-working the program and there will be
several changes.If you have any other questions, please contact me.
Regards,
Gopaul Noojibail
その内容は「記事修正のために ページ制作担当者に私のメールを転送した。」との内容であり、修正されるのを楽しみに嬉しく思いました。 参考:照会したメールとその回答(PDF)
また現在計画中の 植樹桜苗の寄付プログラム”Blossoms in our Future”への協力も紹介する事 を書いていたのですが、いただいたメールによると今後新たな計画があるみたいで、リンクは控えてほしいとのことでありました。
とにかく多くの人に伊丹市が桜やハナミズキなど植物による国際交流事業に大いに関係があることを知ってもらえれば幸いです。
その後、担当者からページ表示の内容修正済を知らせるメールをいただき、該当ページを確認しましたところ、確かに記載内容は2002年2月25日付で改正されており、現在の米国内務省国立公園管理局の「桜の歴史」公式ページの内容は以下のとおりです。
History of the Cherry Trees in Washington, D.C.
「 ワシントンD.C.の桜の歴史」 掲載記事より抜粋
|
修正文が記載されているページhttp://www.nps.gov/cherry/history.htm (クリック)
The scions for these trees were taken in December 1910 from the famous
collection on the bank of the Arakawa River in Adachi Ward, a suburb of
Tokyo, and grafted on specially selected understock produced in Itami city, Hyogo Prefecture.
これら苗木用の穂木は1910年12月に東京郊外、足立区の荒川の堤から採取された有名な品種に 兵庫県伊丹市で育苗された特別に選定された台木に接木された(翻訳制作者)
(修正前の該当箇所)
The scions for these trees were taken in December 1910 from the famous
collection on the bank of the Arakawa River in Adachi Ward, a suburb of
Tokyo, and grafted on wild cherry root stock.
|
私もあまり意識しなかったのですが、NPSのページで以前はroot stock と表現されていたのが今回はunder stock と修正されています。
ちなみに、辞書で引いてみるとroot stock は根茎 under stock は台木と正しく載っています。
また参考までにこのページは(日本語・英語版)すでに紹介していました下記のワシントン市内観光サイトでもリンクされています。
市内観光案内サイト (クリック)
http://dcpages.com/Tourism/Cherry_Blossoms/Web_Sites/International/
余談になりますが、兵庫県でも平成3年度から「ふるさと桜づつみ回廊」(クリック)事業を実施されており、瀬戸内海から日本海を結ぶ、延長172キロの川沿い(武庫川〜篠山川〜加古川上流〜円山川)を桜でつなぎ県内のさくらの名所づくりを進めています。 
90周年と なる今年2002年の桜まつりは盛大に3月23日(金)から4月8日(月)まで90周年を記念した小学校へ90本の植樹をはじめ、桜の女王コンテストや植樹式、パレードなど様々なイベントがこの期間に予定されております。
詳しいイベント案内は実行委員会の下記の日本語ページで紹介されています。左の地図は桜が植樹されたタイダル貯水池付近の地図です。(クリック)
National Cherry Blossom Festival
http://www.nationalcherryblossomfestival.org/ (英語)
桜祭りの案内ページ(日本語)
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このホームページを立ち上げて以来様々な方から情報をいただいたり新たに調べたことなど多々ありますが、この機会に関連して紹介します。
(追記:以下は手島悠介著「友情の二つの花」(岩崎書店)より引用。)
このページを編集していて桜について様々なことを知りました。特に上記の「友情の二つの花」の文中において、今から10年前の1992年4月にワシントンで行われた植樹80周年記念式典の記載があります。
この記念式典には尾崎行雄の孫にあたる原不二子女史がゆかりの深いタフト大統領の四世(ベルギー在住)と共にこの記念式典に招待されています。
そして式典での原不二子女史が行った流暢な英語スピーチの内容が紹介されています。
「わたくしの祖父・尾崎行雄が、桜をおくらせていただきましたのは、アメリカへの感謝の気持ちを表すためでした。日露戦争に「勝てた」のは、セオドア・ルーズベルト大統領のお力ぞえがあったからだと、尾崎は考えていました。そのころの日本の国民感情からいえば「戦争に勝ったのに、ロシアから賠償がとれないのはおかしい。政府の外交がへただからだ。」と不満に思う人たちが日比谷の交番を焼き討ちしたり、新聞社をおそったりして、はげしい暴動がおきていました。日露の和解に努力して下さったアメリカに対して、感謝の気持ちをあらわすことは、とても出来ない雰囲気だったのです。」
とスピーチされており、続けてもう一つの理由を尾崎は「全体主義の国ドイツとの同盟には反対であり、自由と民主主義の国・アメリカこそ友愛と信頼の関係を結びたいとの信念」をもっていた。とのスピーチに対して列席者に深い感動を与え大きな拍手がおこった。と記載されています。
この感謝の気持ちというのは戦争終結講和条約を結ぶ際に米国が仲介して講和会談場所として自国のポーツマスを提供してくれた事に対する謝意でありました。
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・ポーツマス条約について−追記:2006.11.1
ポーツマスは米国東海岸のボストン近郊の都市で日露戦争の講和会議が行われたところで有名です。日露戦争は近代日本の命運をかけて人的被害はじめ多くの犠牲を強いられ戦われました。
その戦勝の成果として国民の期待を受け全権大使、小村寿太郎は講和会議に臨みました。そしてロシア全権大使・ウィッテとの緊迫した駆け引きの末にポーツマスで講和条約を成立させました。
明治38年(1905 年)の日露講和条約を不満とする日比谷焼討ち事件があります。これは、日比谷公園で催された大会の解散後、憤激した群集が交番、新聞社などを焼討ちし、鎮圧のため戒厳令がでました。当時、日露戦争で日本は個々の戦闘には勝っていた
ものの、実態は戦費も兵站もすでに底を尽きかけており、これ以上戦争 を継続する能力はほとんどなくなっていたようです。したがって、何がなんでもポーツマスで交渉をまとめなければならなかったものの、その事情をロシア側に悟られてしまっては絶対にまとまる交渉もまとまらない。したがって国民に対して、この内実を必死で隠しました。そのため戦果を期待していた国民にはその交渉結果には満足せず、帰国した小村外務大臣は国賊呼ばわりし、一部の民衆が暴
徒化した日比谷公園の焼討ち事件が起こり、小村外務大臣の自宅にも火 がつけられました。夫人はそのために精神異常を来たし一生治らなかったそうです。
当時の情勢ではロシアもまた国内で迫り来る共産革命の嵐が吹き荒れ、日露共に戦争を継続するのに困難な事情がありました。そんな時に両国の間に入って戦争を終わらせるための講和条約締結のあっせんをしたのが、当時のアメリカ大統領・セオドア・ルーズベルトでした。(一説には満州での鉄道権益を求めていたため日本に協力したと言われています。)
いずれにせよ当時の国力、戦力比較においても当然講和に応じないロシアを米国のおかげで講和に持ち込めたことは日本にとって非常に幸いでした。また条約締結の場所としてワシントンD.C.を選ぶことは、講和会議にアメリカが介入するような印象を世界に与えるかもしれないという理由で見送られ、代わりに選ばれたのがニューハンプシャー州ポーツマスでした。
ポーツマスはニューヨークやボストンなどの都会からもそれほど遠くなく、さらに潜水艦の建 造・修理のために1797年に建設された海軍の基地があったのです。海軍工廠の中ならば、両国代表のための警備体制にも問題はないというのが理由でした。
(ぜひ参照していただきたいおすすめのページ)
日露戦争について経緯や戦争目的などが動画で解説されている感動のページ(クリック)
公文書に見る日露戦争(国立公文書館アジア歴史資料センター)のページ(クリック)
ボストン近郊にはポーツマスだけでなく幕末に漂流漁民として捕鯨船に助けられたジョン・万次郎(クリック)が過ごした町フェアヘブンなど何かと日本には縁が深い町があります。
まったくの余談になりますが、兵庫県民ならぜひとも知っておきたい史実として、ジョン・万次郎よりも7年前に愛知県美浜町の3人(音吉、久吉、岩吉)は、台風で1年以上も黒潮に流され漂流民としてワシントン州フラッタリー岬に漂着し、現地マカ族の奴隷となりましたが、その後数奇な運命で英語を学び日本で最初の聖書を翻訳したり帰国の思いははたせませんでしたが、マカオで日本の遭難漁民を助けたりシンガポールでは遣欧団の福沢諭吉と面会しています。 日本ボーイスカウト兵庫連盟により兵庫県の姉妹州にあたるワシントン州のフォートバンクーバーにてこの漂流民の顕彰碑が建立されました。
また2006年6月には兵庫連盟長(井戸兵庫県知事)からフラッタリー岬のある兵庫県の姉妹州ワシントン州ニアベイのマカ族博物館へ3人が漂着した宝順丸のレプリカを贈っています。 私の個人的な好奇心から異国での困難な境遇で生き抜いたたくましく生き抜いた三吉の漂流民物語についてもこのサイトで紹介しています。
日本ボーイスカウト兵庫連盟の国際交流(クリック)
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副読本「ワシントンの桜」について
いつの時代にも郷土の誇りとなる史実や先人の努力を顕彰する際に、様々なエピソードや人々を感動させるすばらしい物語があります。またそのような史実を後世に伝えることが郷土への愛着をよりいっそう深め、そして地域の連帯と町の個性をさらに高めます。
先日機会があってこのホームページを作るきっかけとなった郷土史研究グループのメンバーである内堀睦夫氏から小学生の副読本用としてご本人がワープロ手作りで編集された冊子と指導解説書のフロッピーディスクをお借りしました。
特に小学生5,6年生用に書かれているのでわかりやすい解説がされています。市内の小学生にはぜひとも読んでほしい内容です。
原本は 「アメリカと日本の友情を深める花−伊丹市東野でつくられた桜の苗木−」の表題で、縦書きですが、ご本人の承諾をいただき子供用のルビをはずして、横書きのワードで読める形式に変換したファイル(PDF形式)にしました。
「ワシントンの桜」副読本、を読みこむ (PDFファイル)
PDFファイルをご覧になるためには、「アドビ・アクロバット・リーダー(Adobe
Acrobat Reader)」(無料)が必要です。 @Adobe Acrobat Reader無料 ダウンロードページ
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宝塚市の国際交流とハナミズキ
2002年3月30,31日宝塚市で阪神北・まちづくり国際フォーラム2002が伊丹市はじめ、4市1町の主催により開催されました。各市の海外姉妹都市からも講 演者が招聘され都市計画まちづくりのフォーラムが開催されました。
フォーラム会場で伊丹でのハナミズキ植樹式にも参加されていたボランティア団体「宝塚緑の風」会員木村悦子氏と偶然出会いました。
その後彼女は福井市でも平成12年に越前松平家より寄贈された日米友好ハナミズキ植樹式に出席されたり、市民レベルでハナミズキの交流をさらに盛り上げていきたいことなど、その抱負や活動の話になりました。
(写真左から内堀氏、服部氏、酒井福井市長
第20代越前松平家当主、木村女史)
ちょうどこのフォーラムに宝塚市の姉妹都市米国オーガスタ市のボプ・ヤング市長も講演者として招聘されており、そんなことで久しぶりに会って話題が姉妹都市交流活動を聞くことになりました。
宝塚のイメージといえばなんと言っても「少女歌劇とスミレの花」が定番ですが、今回は宝塚市のハナミズキについて紹介します。
宝塚市は1989年(平成元年)の姉妹都市提携時にオーガスタ市より35本のハナミズキの木が贈られ1999年の提携10周年にはさらに10本のハナミズキが贈られて市内「ゆずりは公園」に植樹されたとの 事を知りました。
オーガスタはオリンピックが開催されたアトランタと同じジョージア州で、アトランタ市の花はハナミズキであります。ハナミズキはカナダから北米大陸東部に自生する植物でアメリカ各州の州花にもなっています。また宝塚市の長尾山麓山本、中山、伊丹市北部の荒牧、鴻池は昔は同じ川辺郡長尾村であり、山本を中心に伝統的な植木産地として全国に知られていました。
宝塚市国際交流協会が発行している冊子「山本の花と緑」をいただき、大正6年に米国から2度めのハナミズキ(赤花種)が贈られた際に、なんと2本が久保武兵衛氏に贈られおり、その内の1本が武兵衛氏と仲がよかった宝塚市山本在住の阪上猪太郎氏に渡され、そのハナミズキは今も80年以上の年月を超えて山本の地で生きている。との記述がありました。
この冊子には山本は古くから豊臣秀吉に仕えた武士、坂上頼泰が園芸を広め秀吉から木接太夫の称号まで授かったことや造園業の盛んな土地柄であり地元にはそのことを顕彰して「木接太夫彰徳碑」(上の写真)があります。
歴史や文化を伝承し共有することが広域的な市民の連帯と交流を深める上で必要なことであると思いました。
日本の三大植木産地は??
福岡県久留米市田主丸(たぬしまる)と埼玉県川口市安行(あんぎょう)に兵庫県宝塚市山本の三ケ所が日本三大植木産地と言われています。
山本は昭和の町村合併(1955)により宝塚市に組み込まれたが、それまでは兵庫県川辺郡長尾村に所属しておりました。
この桜を出荷した東野に隣接する長尾村内には現在伊丹市となっている鴻池・荒牧・荻野があり山本だけが宝塚市(クリック)に組み込まれました。 今は当時の川辺郡の地名は猪名川町にその名をとどめています。
i注釈:一説には愛知県稲沢市も日本の三大植木産地とのことです。 |
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平成14年4月10日発行の児童図書に荻野小学校のハナミズキが紹介掲載されました。
図書名 「人物、動・植物で調べる国際交流」
地域でできるこれからの国際交流(5)
ISBN4-265-04455-7 47p29Cm
編・著 こどもくらぶ
(C)2002 Kodomo Kurabu
発行者 岩崎弘明
発行所 (株)岩崎書店
(図をクリックすれば拡大。表紙・掲載ページ)
伊丹市の東野での苗木つくりやハナミズキの事が児童向けに植物を通じた交流として伊丹市東野が紹介されています。
小学生向きですが、特にこれからのIT化の時代を反映してインターネットでの検索の仕方や検索エンジンの説明など今の児童書は大人が見てもなかなか楽しい内容です。
平成14年4月23日付読売新聞全国紙で紹介
読売新聞が行っているNIE (Newspaper In Education−教育に新聞)シリーズで様々な日米間の交流事業が紹介されています。
その中で、「世界が見える日本がわかる(1)日米のきずな」 と題し荻野小学校のハナミズキの写真と共に友好の木の紹介がありました。
NIEのホームページは教育にインターネットを活用事例や、多くの教材が用意されています。
荻野小学校のホームページへ
〒100―8779 東京中央郵便局局留 読売新聞社NIE事務局
「世界が見える 日本がわかる」係 (NIEのページへリンク)
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アメリカに桜を咲かせた人たち
またこのホームペー ジに関して、平成14年8月に横浜市に在住の石田三雄氏から内容について照会をいただきました。石田氏は「アメリカに桜を咲かせた人たち」と題して日米友好に縁のある高峰譲吉博士とシドモア女史に焦点をあて、その時代とアメリカへ贈られた桜について非常に詳しく書かれおり、その後冊子等をいただきました。
桜の寄贈に関する石田氏の詳細な調査内容には驚きました。そしてこれまでこのページで紹介した内容も一部修正させていただきました。
石田氏の冊子を読んでたった90年前の歴史でさえも正しく残していくことが非常に難しいものであることを痛感しました。またその中で、とくにエリザ・R・シドモア女史はこの時代にアジア各国の旅行記などを書いていますが、中でも「As the Hague Ordains:ハーグ条約の命ずるがままに」を彼女は著しています。
この書籍の内容は、終戦後に日本兵の悲惨なシベリア抑留体験と違って、日露戦争下において日本がロシア軍捕虜に対してハーグ条約を遵守し人道的に厚遇した事を彼女が高く賞賛した内容であります。
このことが日本人をして彼女に親しみを持たせることとなり、その後日本政府から勲六等宝冠章を受章されています。
また彼女の兄は在日米国領事であり、横浜外人墓地に墓所があり、40年に及ぶ滞日記録があることなど、高峰博士功績とともにこの冊子で詳細に紹介されています。
高峰譲吉博士はすでに紹介しましたが、典型的な明治の気骨ある日本人で特にタカジアスターゼとアドレナリンの発見によって世界的な名声を博した人物です。キャロライン夫人とともに日米関係の掛け橋として終身貢献されました。
*セント・パトリック教会の「君が代」
1921(大正10)年、第一次大戦後の軍縮問題と極東問題を討議するためにワシントン会議が開かれることになった。日本からの使節団と一緒に訪米した渋沢栄一が、譲吉を訪問した。譲吉は、寄る年波と日米友好のための激務で、体を壊し静養中だった。
アメリカに渡って30年、懐かしい故郷に帰って老後を過ごしたいと弱音を吐く譲吉に、渋沢は涙を流しながら言った。ワシントン会議が始まって一ヶ月、譲吉は倒れて、そのまま意識を戻すことなく、大正11(1922)年7月22日、68年の生涯を閉じた。ニューヨーク5番街にあるセント・パトリック教会での葬儀には、日米600名もの人々が集まった。柩を墓地に送り出そうとする時、キャロラインが日本人の会葬者たちに呼びかけた。「ジョウキチが愛してやまなかった、日本の国歌で送ってあげて下さい」「君が代」の静かな大合唱が聖堂に響き渡る中を、譲吉の柩は担ぎ出された。翌日、ニューヨーク・ヘラルド紙は譲吉の死をこう悼んだ。 日本は偉大な国民の一人を喪ったとともに、米国は得難き友人を、世界は最高の化学者を喪った。(Japan On the Globe(383) 国際派日本人養成講座より引用。)
冊子の製本は石田氏の手作りですが、-日米友好に心を砕いた紳士と淑女-
というサブタイトルにふさわしい内容の冊子です。
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伊丹市の先人顕彰劇第11作で公演決定!
平成15年3月15日(土)18:30 16日(日)14:00
伊丹市で隔年毎に市民演劇公演として開催される先人顕彰劇は伊丹市にゆかりのある歴史上の人物を顕彰し市民が郷土史を知り地域への愛着と連帯を深める目的に市内の演劇グループの協力と市民参加で公演されています。
第11作目となる平成14年は「ワシントンの桜物語」が演目となりました。
芸術文化振興基金や市内企業等の協賛を得て、いたみホールで開催されました。(クリック拡大表示)
原作:村川 直 台本・演出:一杉 忠 制作:増田忠治
平成15年1月10日付読売新聞関西版で紹介
先人顕彰劇の練習が始まり3月15日の公演にむけて出演者は東野で直接造園家から接木の手ほどき実習指導を受けたり伊丹弁の読み稽古、また舞台での照明効果やプロジェクターの写真選択そして またパンフへの企業広告依頼、チケ ット販売準備など年が明けてこれから立ち稽古が始まるなど、それぞれの分野で実行委員会の皆さんや関係者が忙しくなってきました。
そんな時期に嬉しいことにこの桜の”ルーツはITAMI”と題して新聞で大きく紹介していただきました。
読売新聞関西桜ニュース参照。(クリック)
皆さんにお伝えしたいことは、東野をはじめ伊丹市の北部から東野に隣接する宝塚市の旧川辺郡長尾村(山本,中山周辺)はいまでも植木産地として名声が高く、その接木技術が今なお東野地区の造園家に継承され伊丹名産の「南京桃」へと受け継がれていることがこの劇を通じで皆さんに知ってほしいところです。ちょうど公演日頃の3月中旬が南京桃の開花時期です。(右の記事をクリックすれば拡大表示。)
伊丹の特産品「南京桃」の紹介ページへ(クリック)
●3月27日は、「さくらの日」
3月27日といえば、1912年3月27日にポトマック公園で桜の植樹式がされたのですが、3月27日は、「日本さくらの会」が制定した「さくらの日」です。わが国の歴史や文化、風土と深くかかわってきた桜をとおして、日本の自然や文化について、国民の関心を高めるため、平成4年(1992年)3月27日を「さくらの日」と制定されました。
東京をはじめ、多くの地域では、「さくら」が咲く時期が、3月末であるということ「日本さくらの会」事務局の説明では暦の24節気(せっき)3月20日の春分と4月
5日頃の清明の間をとったとのことです。
2003年のワシントンの桜祭期間は 3月22日(土)-4月7日(月)
2003年パレードと桜祭り 開催予定:4月5日(土)

全米州会議(NCSS)から寄贈の桜苗が到着!
4月4日に瑞ケ池公園で植樹式を行なう。
全米州会議のページ(クリック)
全米州会議 ワシントンD.C.地域で全米50州及び4統治領の出身議員や関係者から構成される社会活動後援団体組織であり、とくにこれまで桜祭りのスポンサーやさくらの女王選出事業などさまざまなイベントや文化事業を支援することを政党を超えておこなっているNPO 組織です。
毎年桜まつりでは「日本さくらの会」との交流も深く2002年が日本から桜が送られて90周年を迎える年にあたり、、8月末に桜祭りの主催団体でもあるNCSS(全米州会議)から日本さくらの会に植樹90周年を記念してワシントン産の桜苗木を当時の関係団体等に贈呈したいとの申し出があった。 この桜苗はNPS(公園管理局)で当時日本から送られたポトマック河畔の「ソメイヨシノ」の実生から培養した苗木が贈呈されることになりました。
3月の先人顕彰劇等の脚本の検証で史実確認などの照会を契機に(財)「日本さくらの会」(クリック)が伊丹とワシントンの桜の関係を知るところとなり、伊丹市へもこの里帰り桜苗が贈呈されることになりました。
(写真はクリックすれば拡大します。)
そして伊丹市では 当初2003年3月末までに日本に到着が予定されていたため、「3月27日のさくらの日」に植樹式をする予定していましたが、米国からの輸送手続きの遅れや諸事情で4月4日に伊丹へようやく到着。あいにく当日は雨天でしたがすでに満開の瑞ケ池公園内で関係者により植樹されました。

4月4日の植樹式は伊丹市国際交流協会の協力により開催。地元関係者が見守る中、伊丹市長の挨拶で始まり続いて全員が土入れを行いました。
植樹式関連記事。
・4月4日 毎日新聞(雑記帳)
・4月5日 朝日、産経、神戸新聞の各阪神版。
・4月6日 読売新聞
(右の新聞はPDF形式で拡大表示。要アクロバットリーダー)
暦の上では例年4月4日、5日頃の節気が「清明」(今年は4月5日)といわれます。清明は春の訪れとなる啓蟄 春分につづく十二支の月干支が辰の日に始まります。
辰は震。成長する緑、そして風や新たな季節の訪れがあたりを震わせます。空気が澄んであたりが清らかに明るく見える清浄明潔を略した言葉。春雨の中、清明にふさわしいすがすがしい植樹式になりました。

上:伊丹市長あいさつ
右:市長と伊丹市国際交流協会 石川会長による土入れ |
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(クリック拡大) |

*植樹場所クリックすれば拡大します。植樹場所
東経135度24分13秒
北緯 34度47分25秒
桜満開の瑞ケ池公園。
2003.4.5.撮影。 |
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苗木にはNPS(公園管理局)のID番号8909763が付いている。 |
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今年はイラク戦争の話題に関心が高まっています。、桜木贈呈の91周年を迎えるワシントンの桜祭ではNCSSが後援している桜の女王プログラムが55回目となります。 その全米各州の代表から選ばれる「桜の女王」に毎年真珠の冠を提供しているミキモト真珠の創業110年とベリー提督が黒船で浦賀に現れ開国を迫ったのが1853年7月8日、翌年日米和親条約を締結。日本が開国して150年にあたる意義ある年のようです。

2004年の桜祭り
ーMacon市の桜まつりー
NPSのホームページで紹介されてから、海外からも数通メールがありましたが、特に皆さんに紹介したいのは、このページを見られたジョージア州メーコン市桜祭り実行委員会から桜の品種について問い合わせのメールをいただきました。
メーコン市はあの有名な映画「風とともに去りぬ」の舞台となった米国南部の都市アトランタの近くで 1977年(昭和52年)に日本の富山県黒部市と姉妹都市関係にあり現地にはYKK吉田工業の工場があります。
ジョージア州アトランタから南西へ約136km、ビブ群内に位置 し、面積は138kuでギリシャ風の屋敷や教会など多くの歴史的建築が残る南部特有のまちです。 メーコン市内には、約25万本もの桜(ソメイヨシノ)があり、毎年3月には街全体が桜一色に染まります。 今年2004年も3月19日から3月28日まで「桜まつり」(クリック)が開催されます。 余談になりますが、メーコン市の桜まつりのエピソードを紹介(クリック)します。
(要約翻訳)
この町の不動産業を営む故ウイリアム・フィックリング氏が1949年に裏庭で南部では珍しい見知らぬ花を発見、しかし地域ではだれもこの品種を知りませんでした。のちに彼が仕事で首都ワシントンへ行った際に,桜を見てそれが裏庭のものと同じ品種であることを知り、美しい桜を地域で普及させることに尽力されました。その後70年代になってこの地に引っ越してこられたクレイトン女史もまたその桜の美しさに魅了された一人でした。
フイックリング氏は彼女と意気投合し500本の桜を寄贈、彼女の思いである桜植樹活動を支援し、この活動が現在の桜祭りのさきがけとなりました。このように市民が中心となって始まったメーコン市の桜まつりは今では南部でも多くの観光客が集まる一大イベントになりました。いまもNPOが中心になって地域をあげたイベントとして「桜祭り」が続いています。
*日本の桜やソメイヨシノについて詳しく紹介されている米国アトランタにある不動産紹介業者Showing247のページ。桜に関する米国内の興味あるサイトが紹介されています。(私のページもリンクされています。) http://showing247.com/features/yoshino/(クリック)
*ワシントン桜まつり実行委員会(日本語)ホームページ(クリック)
2004年の桜まつりは3月27日から4間で開催されます。桜の満開開花予想は3月24日〜4月2日とのことです。
また今年は1854年に神奈川条約が締結されて150周年の記念すべき年になります。
なんとワシントンにあるNational Archives(国立公文書館)では桜祭りが始まる3月27日から9月6日まで半年間にわたる特別展が開催されます。
Location: Eighth Street and Constitution Avenue, NW
For futher information, call (202) 501-5000.、
Take Metro to the Archives-Navy Mem'l Station (Green/Yellow lines).
National Archivesはホワイトハウスやスミソニアン博物館など多くの政府施設があるワシントンモール内にあり必ず観光コースで訪れる場所にあります。
ベリー提督の日記や4カ国語の条約文書の展示があり、日本側にとって、神奈川条約と言われる「日米和親条約」とは何だったのかという史実に興味があって、もしこの間にワシントンへ行かれて特別展を見られた方はぜひメールで感想などいただければ幸いです。
追記: 日米交流150周年記念プログラム 2004年4月3日 横浜で開催。
2005年里帰り桜の開花
2005年は3月から寒さが逆戻りし、例年は4月の1週目に開花するのですが、昨年来の天候不順の影響か今年は全国的に満開時期が遅れて翌週にずれこみました。
震災10周年を迎えた年でもあり、また今年は伊丹市制施行65周年にあたります。
一昨年送られてきた桜も花見で賑わう桜の名所、瑞ヶ池公園内で植樹されてから2年目の春に開花し伊丹の地にしっかり根づきました。(2005年4月9日撮影。)
2005年のワシントン桜祭りのウエッブサイトにて. 著者Ann McClellan女史の"The Cherry Blossom Festival-Sakura Celebration "の紹介と講演会開催の案内を見つけました。
さっそくネット 注文したところ5日ですぐに入手できました。(Amazon.co.jpで1908円でした。)
その内容は桜と日本人の心や桜に関する紹介、このサイトで紹介している日本からの桜苗贈呈の歴史やワシントン桜祭りのことなど多数の写真が掲載され非常に興味深い内容でした。とくに米国内での桜の名所やワシントン以外の都市での桜祭りが紹介されていました。思ったより多くの都市に桜名所があり、みなさんが米国に行かれる機会がありましたらぜひ参考にしてください。
なおこの本の紹介は下記のサイトにあります。
"TouristArt.com"http://www.touristart.com/CherryBlossom/Book.htm
Selected Viewing Locations in the U.S.For Japanese Flowering Cherry Trees(日本桜の厳選鑑賞場所)
Arnold Arboretum of Harvard University, Jamaica Plain,Massachusetts
Brooklyn Botanic Garden, Brooklyn, New York
Brookside Gardens, Silver Spring, Maryland
The Cornell Plantations, Ithaca, New York
Filoli Center, Woodside, California
The Holden Arboretum, Kirtland, Ohio
Huntington Library, Art Collections, and Botanical Gardens, San Marino,
California
Longwood Gardens, Kennett Square, Pennsylvania
Missouri Botanical Garden, Saint Louis, Missouri
Morris Arboretum and Gardens of the University of
Pennsylvania, Philadelphia, Pennsylvania
The Morton Arboretum, Lisle, Illinois
The New York Botanical Garden, Bronx, New York
The Botanic Garden of Smith College, Northampton,Massachusetts
San Francisco Botanical Gardens, San Francisco, California
Tyler Arboretum, Media, Pennsylvania
U.S. National Arboretum, Washington, D.C.
Washington Park Arboretum, Seattle, Washington
Selected Cherry Blossom Festivals Around the U.S.
(米国内での桜祭り開催都市)
Brooklyn, New York Cupertino, California
Denver, Colorado Honolulu, Hawaii
Macon, Georgia Monterey Park, California
Pasadena, California Philadelphia, Pennsylvania
San Francisco, California Seattle, Washington
Other festivals celebrate fruit-bearing cherry trees, such as the National
Cherry Festival, Traverse City, Michigan, held each July.
2006年春の伊丹市東野地区桜の紹介記事。
2006年の春は全国的に気候が不順で雨が多く年初来の大雪もあり、気温も4月に入っても上がらずその分長く満開の桜を楽しむことができました。
例年なら4月中旬には散り始めるのですが、(左の写真は平成18年4月16日撮影)今年は開花も遅く長く満開の桜が楽しめました。
里帰り桜も植樹後3年を経過してですっかり成長して花をつけ囲の満開の桜の景観に溶け込んでいます。あと10年も経てば立派な成木となることでしょう。
また2006年4月14日付毎日新聞記事「地域再見」はんしんeyesで久保武兵衛の曾孫にあたる久保武久氏の桜畑、満開の写真が紹介されました。

そして大きく伊丹市東野地区、「ワシントンの桜は伊丹産」の見出し入りで書かれています。(記事をクリックすれば拡大表示します。)
このような記事で紹介されて、伊丹産ということがアピールされそして定着していくことが非常に嬉しいかぎりです。
繰り返しますが、1912年にワシントンに贈った桜3020本のうち約6割の1800本は「ソメイヨシノ」種です。
学名はPrunus yedoensisでそのyedoensisは「江戸ー東京」を意味することから学名でも日本が原産であることを表しています。
そして広く知られている桜の名所、奈良の吉野とまぎらわしいので、その名称に東京の染井村をあらわす染井がつけられたと言われています。
そして今では日本では桜と言えば全国的に普及しているソメイヨシノが挙げられるほど広く知れ渡っています。
ソメイヨシノ種について
染井吉野の誕生の地は明らかではないが、世に出たのは東京である。明治10年代には東京の桜の名所も多くはヤマザクラから梁井吉野に替わり、熊谷堤、荒川堤など広く植栽され始めた。小石川植物園(東京都文京区)には、戦災を受けるまでは明治8年植栽の東京で最古の染井吉野があったという。公園や河岸への植栽、そして、鉄道や道路、また、学校や兵舎の建設とともに、全国的に広まっていったようです。
東京の染井村(現豊島区駒込の一部)から広まった吉野ザクラとして、ソメイヨシノという和名が与えられた。ソメイヨシノは、竹中要の実験によればオオシマザクラとエドヒガンの自然交配種であるとされる。今日全国で最も広く植栽されているサクラだが、明治の初期にはまだめずらしかった。このソメイヨシノにPrunus
yedoensisという学名を与えたのは植物学の第二代教授となった松村任三で植物学雑誌一五巻(一九〇一年)に発表されています。
ソメイヨシノの原産地は済州島?
60年代中盤以後、韓 国内の各地において、大々的に起きた「桜植樹」に在日韓国人と日本人たちが組織的に介入した事実が明らかにされています。これらの桜は巨額を投入して日本の桜の苗木を飛行機で運び、寄贈しただけなく、釜山近くのかっての軍港都市である鎮海(チンヘ)の場合、日本人植物学者らが以後自発的に何回も訪韓して肥料を与えて成長状態を把握するなど真心を注いだことが確認されています。現在韓国内でも多くの桜の名所があり、植栽本数規模が日本よりも大きい所もあるほど桜が親しまれています。
*参考:「ある日韓歴史の旅」(著者:竹国友康)
ワシントンの桜について2006年4月11日の朝鮮日報の記事より。
http://blog.chosun.com/blog.log.view.screen?blogId=7259&logId=1029784
記事(一部)を エキサイト翻訳ページで翻訳した結果。
(機械翻訳のまま無修正につき日本語表現が不正確で誤記表示。)
アメリカワシントンあちこちに咲いている派手な桜の原産地は日本ではなく済州島一般的に日本産桜で知られたワシントン桜を始じめ, 鎭海, 汝矣島などの桜たちが済州山増えた運動がおこっている.
日本が歴史教科書まで歪曲しているというのにもう済州山で確認されてワングボッナムの存在を今度機会に確かに釘を打っておこうという動きだ.西帰浦文化事業会は去る
9日天然記念物第159号に指定されたワングボッナムを複製窓西帰浦文化事業会会長は “済州は世界唯一のワングボッナム自生地もかかわらずこんな事実がだ”と
“桜すれば当然日本を思い浮かぶ認識を破る必要があって広報活動を始めた。(原文ーテキスト写真)
起源の諸説
江戸時代末期に品種改良して作出された園芸品種が定説である。 なお、園芸家による作出説と、自然交雑したものを、偶然、挿し木によって増やしたという説とがある。
また、小泉源一が1939年に大韓民国の済州島の王桜との類似を指摘して、済州島が自生地であり起源とする説を唱えたが、ソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンの交配によるものであるのに、オオシマザクラは伊豆諸島で進化したカスミザクラの島嶼型であって朝鮮半島には存在しておらず、
学術的に本説は否定されました。
参照:東京大学総合研究博物館小石川分館 刊行物データーベース
ソメイヨシノさくら物語 多摩森林科学園樹木研究室長 横山敏孝
原産地は伊豆大島だとする説や韓国の済州島だという説があったが、これらは数回の現地調査ですでに否定されています。
結論からいえば、ハルラサン(済州島)の桜はソメイヨシノと別物ということであった。
オオシマザクラ + エドヒガン=ソメイヨシノ
エイシュウヤマザクラ + エドヒガン=ハルラサンの桜(ワンポッナム)
つまり似ていますが、片親の違う兄弟桜ということになります。
これらは京大の遺伝学研究所で確認されています。日本だけでなく多くの国で桜が親しまれるのは結構なことですが、やはり菊や桜は日本のシンボルであり、歴史的な経緯はただしく伝えてほしいものです。
「東野よいとこ、苗どころ」−東野賛歌が郷土に愛着をもつ地元造園家が制作。
伊丹市東野在住で造園業を営まれている小西厚生氏が地元で伝わる梅・南京桃、果樹苗作りの振興と地元特産品に誇りを持って地域の愛着を深めるために東野賛歌(6番)を作られましたので紹介いたします。
東野賛歌
1.我等のふるさと東野は
香り漂う梅の里
梅の東野人そ知る
枝のウグイス大はしゃぎ
永久(とわ)に伝えん
我等の誇り
東野よいとこ苗どころ
(省 略)
3.緑ヶ丘の新名所
我等が育てた 梅林は
見渡す限り 花の海
琴の音なごむ 野点の会
花を愛でつつ かわす酒
東野よいとこ 苗どころ
(省 略)
6.海を隔てたポトマック
春爛漫の桜の並木
日米親善かけ橋は
東野生まれの贈り物
永く伝えん日本の名花
東野よいとこ苗どころ
(作詞 小西厚生) |
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2006年4月16日付朝日新聞阪神版 瑞ヶ池公園の桜が紹介され る。
ワシントンの里帰り桜を植樹した瑞ヶ池(ズガイケ)公園の桜を育て守ってきた「瑞ヶ池公園の桜を育てる会」が発足20周年を迎え、会の事務局がある公園北側の三菱電機北伊丹製作所で祝う会が開かれました。
桜を育てる会は86年に久保武兵衛の孫にあたる久保武茂氏が話を持ちかけたのがきっかけで、製作所の従業員24人で結成されました。
こよなく桜を愛する会員の皆さんが瑞ヶ池周辺に植えられている約600本の桜を剪定したり施肥をするなど熱心に手入れを続けてこられ、今では瑞ヶ池公園が市内有数の桜の名所として市民に定着しています。
(右の記事をクリックすれば拡大表示します。)
2007年春の里帰り桜 4月1日現在
1912年に日 本から桜が送られてから2007年の今年はちょうど95周年を迎えます。米国でも1月は気候が不順で2月には早咲き種の桜が咲くなど日本同様暖冬となり開花予測をめぐって桜祭り関係者をやきもきさせていました。日本でも同様に暖冬でもう3月中旬には満開になるようなことが言われていましたが自然はよくしたもので3月には「寒の戻り」で不安定な気候になり、この冬まったく雪を見なかった東京でも4月に入って雪が降る異常気象ですが、それでも全国各地では例年通りの開花となりました。(写真は4月1日)
しかし4月1日には市内各所の桜はほとんど開花して何とか花見が楽しめたのですが、なぜか瑞ヶ池の里帰り桜は開花が遅れています。
4月3日の日経新聞では桜祭りが開催されているワシントンの桜は満開でオノ・ヨーコさん(ビートルズのメンバーだった故ジョン・レノン夫人)が桜の木に「願いの短冊」をつけている記事(日経4月3日夕刊16面)が紹介されています。
ワシントンポスト(07.4.2付)の記事にも「Yoko Ono's Peaceful Message Takes Root」(”オノ・ヨーコの平和メッセージが根づく”)の見出しで、すでに日本で紹介されている彼女の”Imagine Peace”のキャンペーンとして最初に桜が植えられたタイダル貯水池にあるジェファーソン記念館前で”Wish Tree−願いの木”セレモニーが行われ、ご本人が鉢植えの桜に平和の願いを書いた短冊などをつけました。
ちなみに記事によると彼女が短冊に書いた願いは”The cherry blossoms in Washington D.C. will always bring beauty + peace
to this city. So be it. y.o."07"”です。ほんとに願いどおりに桜とともに平和を運んでほしいものです。
これらの桜は祭りの期間中4月15日まで設置され訪問者もそれぞれの願の短冊をつけることができます。予定では桜はその後市内の3ヶ所の施設等へ移植され、願いの短冊は集められアイスランドで建設予定のImagine Peace Towerヘ納める予定とのこと。

2007年4月のワシントンの桜
このページの作成にあたり参考にさせていただきました資料で平成9年3月地域研究「いたみ」第26号の執筆者である郷土史研究グループぐりんぷすの内堀睦夫氏ご夫妻が今年4月上旬から観光ツアーでワシントンDCを訪問されました。そして1912年に最初の植樹式が行われた場所(石碑)があるタイダル貯水池周辺の桜の原木の写真をいただきました。デジカメの撮影日付は4月9日午後5:00頃の写真ですが、
さすがに100年近い歳月を経て樹木も老木化しています。また石灯籠は戦後日本から贈られたものですが裏の記載内容が撮影されていますが判読不能で拡大してもよくわかりません。恒例の桜祭りはこの石灯ろうの火入れで始まる慣わしです。
この石灯ろうについて調べてみると、1954(昭和29年)3月30日に、日本の井口貞夫大使(ウイキベディア)がワシントン市に1854年3月31日に横浜でペリー提督によって締結された最初の日米和親条約締結100周年を記念して300年前の日本の石灯ろうを贈られたもので、御影石の灯ろうは8フィートで重さは20トン。また灯ろうの火入れ式によって例年の桜祭り公式開会セレモニーとなります。(NPSの桜の歴史のページより引用。)
今年の石灯ろう点火セレモニー
桜祭りの始まりを告げる点火式は毎年全米各州から選ばれる桜の女王も列席して行われます。
写真はフロリダ州オーランドからアメリカ人のご主人とともにバージニア州に引越された「フロリダケリーのバージニア新生活」の4月8日のブロッグページより引用させていただきました。

2008年 桜の話題 - 武兵衛梅が紹介される。
瑞ケ池公園のワシントンの桜は植樹されてから早いもので5年目の春をむかえました。いまではすっかり成木し周囲の桜と違和感なく周囲の景観に溶け込んでいます。
思ったより桜の木の成長がこれほどまでに早いことに驚きました。とりわけ植樹された公園内の場所は行楽場所として絶好の広場で、シーズン中には連日花見を楽しむ市民で溢れており撮影したのが満開を迎えた4月最初の週末であったので多くの人でにぎやかでした。
今年は開花が例年になく早いのかなと思っていたのですが、寒の戻りがあり、やはり季節はよくしたもので本格的な見ごろとなる満開は4月に入ってからになりました。
(クリック拡大表示。写真は4月5日)
今年のワシントンD.C.のさくら祭りにですが、今年も様々なイベントが開催され、今年は日本舞踊やコーラスに子供さんが出演されているページがあり、昨年に引き続きアメリカでの日常生活を紹介されている「フロリダケリーのバージニア新生活」ブロッグの該当ページよりリンクさせていただきました。
伊丹市東野地区で生産されている盆栽梅の紹介記事がありました。

「明治期に日米友好の証しとして贈られたワシントン市、ポトマック河畔の桜並木の苗木を生産した兵庫県伊丹市の農家・久保武兵衛さんの孫が、梅の鉢物に祖父の名前を冠して「武兵衛梅」として売り出す。
古くから受け継がれてきた高い栽培技術で、日本を代表して桜を生産した祖父の名前でアピールしたい考えだ。昨年末に園芸店でテスト販売したところ好評で、正月商材として、今年末から本格的に販売することを決めた。」
梅の鉢物を販売するのは伊丹市東野の「久保精果園」の久保勝平さん(70)。
(平成20年1月22日 日本農業新聞(近畿版)より。)
新聞記事でのワシントンへの桜苗木の歴史的な搬送経緯の説明には多少誤記がありますが、植木の苗どころ東野の特産品として南京桃だけでなく盆栽梅もあることが紹介されています。 新聞記事を拡大表示(クリック)
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