ワシントン桜物語 アメリカと日本の友情を深める花cline.gif (2424 バイト)Tidal1.jpg (17543 バイト)
The Story of Cherry trees in Washington D.C. 
Cherry blossoms are enhancing the friendship between U.S. and  Japan.
 

 英語表記 (Click here (English version)

写真提供(ワシントン在住松尾氏) 資料参考出典: 郷土史研究グループぐりんぷす(内堀睦夫著)、地域研究「いたみ」第26号平成9年3月 Website:荒川さくらクラブ物語,National Park Service(U.S.A.)を参照。 

 アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.のポトマック河畔の桜並木は、世界の名所の一つになっています。毎年3月末から4月のはじめにかけてシーズンには、盛大に「桜まつり」が開催され、全米から観光客が訪れ、パレードやその年の「桜の女王」が選ばれます。 この桜は明治の終わりごろに、アメリカのタフト大統領夫人の希望により、当時の尾崎行雄東京市長がプレゼントしたものです。
 その送られた桜の苗木というのは、東京の荒川堤の五色桜を穂木にして、台木づくりは、実は伊丹市の北部荻野小学校校区、植木の産地東野村で育てられました。

 日米友好のシンボルとして100年近くの歳月を経て今も多くの人々に親しまれているこの桜のルーツは伊丹である。ということは伊丹市民にとって大きな誇りであり、この歴史的な事実について認識を深めそして世代を超えて語り継いでいきたいものです。
 

日米友好の桜物語伊丹事業実行委員会     (リンク)H27.2.28更新

     ワシントンの桜祭り見学伊丹桜ツアー訪問団報告(リンク)H24.7.4更新


ワシントンの桜は伊丹東野産
 明治の終わり頃、アメリカでは来日経験のある学者や作家たちの間で、日本の桜を讃える声が相次いでいました。「アメリカの人たちにもあの美しい桜を見せたい。」当時の大統領夫人もこれに賛同し、ついには日本政府も動き出しました。
  桜の寄贈を託された尾崎東京市長は早速、桜二千本をアメリカに贈りましたが、ワシントンに到着した頃には、おびただしい数の害虫が発生し、焼却を余儀なくされました。
 再び計画を進めるため、尾崎東京市長は農商務省の古在農学博士に、害虫に強い桜の苗木の調達を依頼しました。博士は当時、日本で一番有名な静岡県にある興津園芸試験場で接ぎ木という方法で、丈夫な苗木を育てる計画を打ち出しました。
 穂木は東京の荒川堤の桜並木から取り、そして、病気や害虫の少ない台木づくりは、植木の産地として高い園芸技術をもつ伊丹の東野村に託されました。
 伊丹市の東野村では、村中の人々の努力のかいあって丈夫な台木が作られ、明治43年(1910年)出荷されました。
 こうして興津園芸試験場で接ぎ木された苗木6,040本は、明治45年(1912年)、横浜港から出港され、無事アメリカに到着しました。一本も病気がない苗木に検査官も感嘆の声を上げたそうです。
 日米親善の証である桜はその後、多くの人々の熱意によって守られ、見事に成長していきました。
 毎年ポトマック公園で行われる「桜まつり」では大統領夫人による植樹式や、さくら女王のパレードなどがあり、大勢の人たちでにぎわっています。
 今や桜はワシントン市民にとって、なくてはならない存在となったのです。

■ハナミズキの返礼と里帰り桜

 日米親善の交流はさらに続きます。大正四年(一九一五年)アメリカ側から感謝のしるしとして、ハナミズキが日本に届けられました。
 花ことばは「返礼」と言われるハナミズキは、アメリカでは最も愛される木のひとつです。
 当時伊丹に届けられたハナミズキは枯れてしまって、その他のハナミズキもまた行方不明になってしまいます。
 しかし、その後の調査で、東京都立園芸高校に原木が現存していることが判明し、平成11年(1999年)その子孫樹が返礼のハナミズキとして、再び伊丹市立荻野小学校に植樹されました。今では3メートルを超える程の大きさに成長しています。
 また、日本から桜が送られてから90周年を記念してワシントンの桜の苗木を州協会全米協議会より日本へ贈られることが決まり、平成15年(2003年)に東野地区に隣接する瑞ヶ池公園に日米友好の桜が植樹されました。
 現在この木は「里帰り桜」として瑞ヶ池公園の他の桜と一緒に市民の目を楽しませています。

■地域で支えられて
 伊丹市の桜の公園で知られている瑞ヶ池公園では「瑞ヶ池公園の桜を育てる会」(三菱電機㈱、㈱ルネサステクノロジーの従業員の方々を中心としたボランティア組織)により、二十年以上に亘って、休むことなく維持・管理が続けられています。
 桜の物語は、日本でもアメリカでも桜を愛する人々の絶え間ない努力によってこれからも続いていくことでしょう。

 
 瑞ヶ池公園  瑞ヶ池公園の桜を育てる会の皆さんによる剪定


【伊丹花物語】~花が咲く、物語が始まる、伊丹のまちから
  ◇伊丹市は、苗木づくりや園芸産業が盛んな「花のまち」です。
  ◇伊丹市都市農業基本計画(2011~2020)では、「伊丹・食と花の名物づくり
   プロジェクト」が位置付けられています。

  ・花のイベントの恒例行事化
  ・伊丹の四季の風物詩となる行事を恒例開催し、「花のまち伊丹」をPRす
  ることにより、各産業の活性化と都市型観光の推進を図ります。

(例):盆梅展(1~2月)、観梅と野点の会(2月)、南京桃フェア(3月)、
 さくら祭り(ワシントン桜;4月)、春バラ(5~6月)、秋バラ(10~11月)、
菊花展(11月)などがあります。

伊丹を彩る4つの花
 
 桜・バラ・南京桃・梅-の物語を「伊丹花物語」として、冊子にまとめております。 ご覧ください。

 ・桜(PDF)         ・薔薇(PDF)

 ・南京桃・梅(PDF)    ・伊丹花暦(PDF)

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米国ワシントンD.C.の桜物語(1)ー  
1.歴史のはじまり。 桜の魅力に心をうたれた米国人
2.ワシントンへ桜を送る 日本の苗木2000本は焼却処分
3.ふたたび桜を送る。 東野村、久保武兵衛氏の桜にかけた情熱
4.その後のワシントンの桜   アメリカ市民に愛され育てられた桜
5.アメリカから贈られた花 桜のお返しにハナミズキが贈られた
6.むすび         郷土史研究グループ GLIMPSE
          米国ワシントンD.C.の桜物語(2)へ

* この記事に関する問い合わせは  aranishi(A)bca.bai.ne.jp まで。 

   ホームページの先頭画面「清酒発祥の地伊丹」ページへ戻る。
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1.歴史のはじまり。  *桜の魅力に心を打たれた米国人* 
  アメリカの首都ワシントンD.C.に送られた日本の桜がいまでは世界の名所の1つになっています。春になるとポトマック公園の桜がはなやかに咲きほこり見渡す限りの桜並木になります。ポトマック公園の桜は明治時代の終わり頃にアメリカのタフト大統領夫人、ヘレン・タフトさん達の要望があり、当時の尾崎行雄東京市長がプレゼントしたものです。
 植樹式は明治45年(1912年)3月27日 にポトマック公園で植付け式を行なわれ、ヘレン・タフト大統領夫人と、珍田日本大使夫人によってそれぞれ最初の1本が植えら、そしてエリザ・シドモア女史が鍬をとって植樹しました。
 その日本から送られた桜の苗木というのは、 東京の荒川堤の五色桜を穂木に伊丹市の東野で育てられた台木を接木した桜苗木です。
 
桜に親しみをもった人達

 1887年ごろ、アメリカから日本に来て、桜の美しさに心をうたれ、日本の国に親しみを持った3人をあげてみましょう。

 世界中の植物を集めていた、ディビット・フェアチャイルド博士 (Dr.David Fairchild)は、日本での旅行中、東京の荒川堤に咲いているいろいろな種類の桜の花の美しさに心をうたれ、そして「このような美しい花をアメリカへ輸入出来ないだろうか。」と考えました。日本の桜をアメリカで育てて花を咲かせるためには、気候や土の性質がよく似ていなければなりません。そこでフェアチャイルド博士は、1906年ワシントンの近くのメリーランド州にある自分の庭園に25種類の日本の桜を植えて育てることが出来るか試みました。
 桜はみごとに花を咲かせました。フェアチャイルド博士の友達のチャールス・L・マーラット博士は、同じアメリカ合衆国農務省に勤めていました。マーラット博士は昆虫学者で30年間農務省の昆虫局長を勤めました。この長い勤務の合間に、桜の木を自分の庭に植えました。
 1904年の春、マーラット博士の庭で咲き誇る日本の桜の美しさにマーラット博士とフェアチャイルド博士は心を奪われていました。
 2人はさっそく相談して花見のお茶の会をひらくことをきめました。日本では昔から花見の時は「野点」といってお茶の会をする習慣があります。日本に来たり親しみをもっている人たちは、この催しに喜んで参加しました。
 このお茶会に招かれたお客の1人、有名な旅行家作家 エリザ・シドモア さん(Mrs.Eliza Ruhamah Scidmore (1856-1928))も桜の好きな人でした。シドモアさんjが初めて日本を訪れたのは28歳の時、明治4年(1884年)とされています。日本と日本人を好きになった彼女は、1891年に、それまで3回も日本に来て3年間過ごした日本の様子を「日本での人力車旅行」という本に著し、その中で日本各地の桜の名所の紹介をしています。
 桜の花見の庭園で3人の桜を通した友情と、桜の木をワシントンに移植する活動がこうしてはじまりました。
 フェアチャイルド博士はワシントンの人達に桜について知ってもらうために日本の植木業者から「しだれ彼岸桜」を取り寄せて1年間苗床で育てました。そして翌春にワシントンの各小学校へ桜苗を1本づつ持って帰り学校の庭に植えるようにしました。
 またシドモアさんは、タフト大統領夫人のヘレン・タフトさんに会いました。そしてシドモアさんは大統領夫人にワシントンのポトマック川を埋め立ててつくる新しい公園に是非日本の桜を植えて下さい。と勧めました。Tidal.jpg (11548 バイト)
 1909年シドモア女史は桜の苗木を購入するための募金を募るなどの活動をしたほか、かって日本を訪れたことがあり、桜の美しさを知っている当時の大統領夫人へ、計画されているポトマック河畔の埋立地公園に、桜の植樹を促す手紙を出しました。

(写真:NACC.National Park Service HPより引用。)

(タフト大統領夫人からシドモアさんへの返信)
   The White House, Washington.    
                            April 7, 1909
Thank you very much for your suggestion about the cherry trees. I have taken the matter up and am promised the trees, but I thought perhaps it would be best to make an avenue of them, extending down to the turn in the road, as the other part (beyond the railroad bridge ­­Ed.) is still too rough to do any planting. Of course, they could not reflect in the water, but the effect would be very lovely of the long avenue. Let me know what you think about this.

Sincerely yours,

Helen H. Taft

**エリザ・R・シドモア女史**
Eliza Ruhamah Scidmore(1856-1928)
   1856年米国ウィスコンシン州マディソン市に生まれる。兄が横浜領事館に勤務していたこともあり、1884年来日。通信記者としてアラスカや、日本,中国、ヨーロッパで数年過ごす。1907年には日露戦争で捕虜となったロシア人の、松山収容所での人道的な扱いをテーマとする小説を発表。武士道に基づく文化と、桜を愛でる日本人の精神に深く魅せられました。また新渡戸稲造とも親交があった。
 日本での滞在中に、向島の桜に魅せられたエリザはポトマック河畔の埋立地に桜を植樹するための活動をする。
 その後大正14年エリザ69歳、ワシントンを去り、ジュネーブ、スイスに移住。その理由は、米国会議が人種差別的な「排日移民制限法」を通過させたことに彼女は大いに激怒したためと伝えられている。
 スイスに移住後、昭和3年(1928年)72歳で死去。当時ニューヨーク・タイムズはその死を大きく報じた。彼女の兄は在日米国領事であり、横浜外人墓地に墓所があります。
 そして昭和4年(1929)11月4日、当日雨天、横浜山手外人墓地にて納骨式が行なわれ新渡戸稲造博士、弊原外相代理、埴原前駐米大使、有吉横浜市長、米国代理大使ネヴィルほか、およそ100名が参列。新渡戸博士が英語の弔辞をエリザに捧げる。 そして平成3年(1991)にはワシントンから里帰りした桜の苗木4本が墓の背後に植えられる。

 参考:「エリザ・シドモアとワシントンの桜」小林冶雄(日本歩け歩け協会)


(追記:H.24.3.30)
「シドモアさんと百年の夢」
 (PDF縦書きクリック

  
ワシントンD.C.日米協会
   文 神尾りさ   絵 西 由美子



 ワシントンの桜寄贈100周年にあたり、児童向けにシドモア女史がワシントンに桜を咲かせる夢を持ち続けたその情熱を挿絵を入れてわかりやすく紹介されています。


追記:横浜の外人墓地について(読売新聞社1996.10.15 東京朝刊より。)
  幕末に設営の歴史をたどるこの外国人墓地には、現在、約四十か国の四千五百人が埋葬されている。開国後の日本の近代化に尽くした技術者、教師、宣教師、ジャーナリストらの墓も少なくない。
 しかし日本政府が永久無償貸与しているこの墓地は、維持運営の資金難に苦しむ。市民団体「横浜外国人墓地を愛する会」が募金運動を展開、辛うじて支えているのが現状だ。
 日本を愛し、近代化に貢献した多くの外国人たちと、その墓地の持つ歴史的意味を再確認してほしい」。「愛する会」の人々は幅広い支援を呼び掛けている。
(右:シドモア女史の墓標)

 アメリカの土地に桜を植えようとしていたのは,アメリカの人達だけではありませんでした。
 ニューヨークに住んで「ニューヨークに桜の並木をつくろう。」と市の公園委員会に呼びかけていたのは 高峰譲吉博士です。
 高峰博士は世界でも有名な科学者で消化薬の「タカジャスターゼ」やホルモンの「アドレナリン」を発明した人です。(写真左)
 大統領夫人がポトマック河畔に桜を植樹する計画をニュースで知った博士は、すぐにこのことを東京市長の尾崎行雄につたえました。
 1909年(明治42年)6月にニューヨーク駐在の水野総領事は当時の 外務大臣小村寿太郎に書簡を送り、日米親善のために東京都が贈り主となることを促しました。
こうして桜の移植計画は外交ルートにのることになりました。

 
追記:2011.3 映画「さくら さくら」について


 追記:2012.3.23
 「桜と外交官~ワシントンの桜100年に寄せて 駐米大使 藤崎一郎
             
47行政ジャーナルサイトより。3月15日の記事より引用。(PDF) 

  
共同通信社で「47行政ジャーナル」というサイトの編集部におられる橋田氏より藤崎一郎駐米大使の長文の寄稿記事の紹介メールををいただきました。寄稿記事でこの桜寄贈当時の外交的な役割を果たした人物が詳しく紹介されています。橋田氏の了承をいただきましたので紹介いたします。
 なぜ日本政府でなくて東京市長尾崎行雄からワシントン市への寄贈となったのか。
 結論としては日本からの桜を寄贈するプロジェクトは「民間の発想でスタートし、東京市、政府がそれぞれの責任を果たして実現した」ものです。 
 今年2012年は桜寄贈100周年を迎え桜祭りは5週間に延長して3月20日から4月27日まで開催されます。 すでに3月21日現在ワシントンでは例年になく早く桜は開花しています。


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2.ワシントンへ桜を送る。

日本の桜苗木2000本は焼却処分に。

 高峰博士の手紙と外交ルートから、アメリカ大統領夫人の桜植樹計画を知った尾崎東京市長は、日本から桜を贈ることは、日露戦争の終結のため1905年のポーツマス条約の仲介をしてくれた米国への謝意を表し、日本とアメリカの友情に願ってもないチャンスだと考えさっそく準備にかかりました。
 まず1909年(明治42年)8月に東京市会で桜の寄贈を決定。すぐに植木業者と契約を結び、苗木2000本(高さ3m直径6cm)が日本郵船の「加賀丸」に積み込まれ11月24日に横浜を出航しました。アメリカではタフト大統領夫妻が東京市の申し出を快く受け入れ桜の到着を待ちました。

 
加賀丸は12月10日にシアトルに到着。特別仕立ての冷蔵貨車で大陸を横断しワシントンに輸送されました。翌年1月にワシントンに着いた桜苗木に思いがけないことが起こりました。フェアチャイルド博士やマーラット昆虫局長らが届いた苗木を調べると、害虫が無数についており、病気にかかっていることがわかりました。

 このような害虫をアメリカの土地にいれることはできません。またこれほど多くの桜の苗木を消毒したり殺菌する方法がありません。そのため、 すべて送られて来た苗を焼却処分にすることになりました。


(参考)
近代化遺産ルネッサンスのページ
  加賀丸はじめ、戦時下に喪われた日本の商船について詳しく紹介されています。 日本は米国、イギリスに次ぐ船舶所有の海運国家であり、商船の歴史的な意義について一読に値するページです。

日本郵船株式会社広報グループ発行の社内報「YUSEN」2003年5月号の裏表紙に加賀丸のエピソードが紹介されています。-「YUSEN」2003年5月号より引用。-

 「日米の掛け橋としての寄贈に心を打たれた近藤廉平社長は”一層奮発、国交上ノ関係ヲ重ンジ、全然無賃ニテ運搬ツカマツルコトトシ”との手紙を尾崎行雄東京市長に出し運賃を無料にしました。」 との記載があります。  

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3.ふたたび桜の苗木を米国へ送る。

 川辺郡東野村、久保武兵衛氏の桜にかけた情熱

 送られた苗木がすべて焼却処分された事を知った尾崎東京市長は、約束を果た
すために二度目の桜の苗木を贈ることになりました。

この2度目の苗木送付の際に苗木の選別をしたといわれるのが、当時洋花 栽培の事 業を行っていた東京品川の「妙華園」当主、河瀬春太郎といわれています。
 尾崎は「妙華園」へ乗馬姿で立ち寄ったこととか、アメリカ帰りの造園家、河瀬春太郎とイギリス生まれの尾崎の奥さんとは意気投合され懇意にされていたとの記述が下記の新聞記事にあります。このページを見られた三鷹市の河瀬謙一氏より貴重な下記の情報(リンク)をもらいました。 
 
 これまで定説の荒川堤の桜から穂木を採取するにしても、大量の穂木が必要であり、選別や準備はどうしたのか疑問でした。 現実の問題として、大量の苗の準備を誰がしたのか?造園業者が必要です。そのため妙華園が関与していた言われればなるほどと納得できます。

 (追記:H.18.11.19)
   昭和60年9月5日の品川区地方紙新聞記事(不明)の該当記事(クリック)
   グラフしながわ1992年10月刊より。(PDFファイル-クリック。)
       
 東京市は桜移植の失敗を踏まえて再度計画をすすめ、今度はそのようなことがなように注意深く苗木をつくることにしました。
 まず1910年3月、農商務省農事試験場長の古在由直農学博士に害虫の駆除や苗木づくりの方法について調査依頼をしました。そして古在博士は次の報告をしました。

  1)桜のカイガラムシはガス薫蒸法で駆除できる。 しかしスカシバの幼虫にはきかない。

  2)苗木を作る方法や苗木を選ぶときに注意すれば病気や害虫は発生しない。
    しかし普通の畑では元気な苗を育てるとことが出来ない。
    安全な方法は苗を育てるよい畑を選ぶことである。

  3)桜の苗木は1年間育てた元気なものを選び、荷づくり前にガス薫蒸し、
    輸送中に枯れないようすることが肝心である。

<<大事な桜の台木は、伊丹市東野産に白羽の矢が立つ。>>

 
古在博士の報告をうけて桜の苗木づくりがはじまりました。
 当時、日本で一番有名な農事試験場である 興津園芸試験場(現在は果樹研究所カンキツ研究部)の恩田部長と桑名、熊谷、堀技師が苗木づくりにあたりました。


  *清水市(平成15年4月1日より静岡市)の果樹研究所カンキツ研究部のページへ
  

桜の苗木を良い木から増やすには 接ぎ木をします。
 それは元気な桜の木の枝を切り取ってそれを土に挿し木し、やがて挿し木した枝に根が出て葉や幹の芽がでるとそれが台木になります。
 そしてほしい種類の桜の木の枝を切り取り穂木をつくり、それを台木につぎます。

 そこで、穂木には東京の荒川堤の桜並木から取ることになりました。台木づくりは、病気や害虫の恐れの少ない 兵庫県の東野村で行うことに決められました。

   *参考:当時の地名は
兵庫県川辺郡稲野村之内新田中野村字東野

 そのころ兵庫県の南東部の地域(宝塚、伊丹、川西、池田(大阪府))は植木づくりの盛んなところでした。 興津試験場では、この台木に穂木を接ぎ木して育てることになりました。

 1910年5月に東野の久保武兵衛氏に農事試験場の古在博士は、アメリカ・ワシントンのポトマック公園に植える桜の
苗木を興津試験場で接ぎ木して育てたいので病気や害虫のない元気な台木1万5千本の注文を行いました。

 東野村では明治9年ごろから果物の苗木づくりをはじめていました。ヨーロッパやアメリカでは食後に果物を食べる習慣があることを知って日本の人々もやがてその習慣に習うだろうと考え、はじめたということです。 そしてこの考えは見事にあたり、和歌山の温州みかん、千葉県のみかん、山口県の萩の夏みかん、岡山県の桃、鳥取県の20世紀梨などの苗木は、すべて東野村でつくられたものです。
 東野村の久保武兵衛さんはこれらの苗木作りをして日本の生産地へ送っていました。

 古在博士の話を聞いた久保さんは、「日本の桜をアメリカへ送るお手伝いをさせてくださることは、私たちには大変光栄です。心をこめて元気な台木苗をつくりましょう。」と返事しました。
 そしてさっそく興津試験場の恩田部長と桑名、熊谷、堀技師が東野村を訪れ台木苗づくりにとりかかりました。kubo.jpg (269842 バイト)
 そのころ村では、「国のえらい役人さんが来られる。」ということで大騒動だったと言われています。
 村中の人達が久保さんの家に集まりました。恩田部長の話を聞いて、村人たちは自分達が作った台木をアメリカへ送ろう。と心に誓いました。
 15,000本もの苗作るのですが、しかも1本1本丁寧に植えて世話しなければなりません。近くの村の人たちも手伝いました。3人の技師は今とちがって遠い東京からはるばる来るので久保さんのお宅に4,5日泊まることもありました。今でもそのために建てた茶室のような離れ座敷が残っています。
 1910年12月はじめ、3人の技師の指導で育てられた台木苗は静岡県にある興津園芸試験場へ送られました。
 各家庭で手分けしてつくられた台木苗は久保さんの家の庭に集められ、その台木苗を荷車に積んで尼崎駅に向かうとき、村人達の間から「ばんざい!ばんさい!」の声が上がったと言われています。

  (当時、東野に作られた青酸ガス燻蒸室)
kunjyo.jpg (153182 バイト)ガス薫蒸室は桑名技師の工夫で作られて、日本で最初に作られたものだといわれています。
 村の神社の前につくられ、その後村の苗木づくりに役立ちました。今この場所は東野公民館となっています。  それから2ヶ月おいて
1911年2月 から興津園芸試験場に植えておいた台木苗と穂木苗で接ぎ木がはじめられました。

(興津の記録では10,050本の台木に接木。)
 10ヶ月後の12月に掘り起こし、消毒してまた仮植えをします。そして翌年の1月から2月にかけアメリカへ送るために掘り起こされました。

 このようにして、
最終的に 1912年2月14日、横浜港より桜苗木6,040本を積んだ「阿波丸」が出航しました。 
 苗木の半数はワシントンのポトマック河畔植樹用に、そして残りの 半数は高峯譲吉博士や日本人の希望でニューヨークハドソン河開発300年記念式に贈るためのものでした。


 1ヶ月後の1912年3月26日に桜苗木はワシントンに着きました。農務省の人たちが検査するために荷物を広げたところ「病気にかかている木は一本もないぞ。」という声があがりました。
昆虫局長のハワード博士も、「私は、今までにこのような完全な輸入植物を見たことがない。」と驚きました。

 そして 1912年3月27日にポトマック公園で植樹式が行われました。
当時のヘレン・タフト大統領夫人と珍田日本大使夫人によってそれぞれまず最初のソメイヨシノ種1本が植えられました。
右の写真クリック拡大)記念すべき最初の植樹2本の場所に今も記念のプレートがあります。

(碑文)
  
The first Japanese cherry trees presented to the city of Washington
 as a gesture of friendship and goodwill by the city of Tokyo were planted
  on this site.
                March 27, 1912

 東京市から友好と親善の印としてワシントン市へ贈られた最初の日本の桜はこの地に
 植えられました。  
                 1912年3月27日


 
NPSの資料: 1976年撮影の写真 最初に植えられた2本の桜苗木写真。
     
(H.18.3.河瀬謙一氏撮影。)
(左のプレートの写真
(河瀬謙一氏提供)クリックすれば拡大表示します。)
 現在設置されているプレートは1950年に首都150年記念委員会で再建されているみたいです。
場所は下記の地図参照。



  


  
  
 (1912年設置のプレート)
  TOKYOのスペルが間違っている。


   

追 記(H19.2.11)
 日刊ブロッグ新聞「ぶらっと」の平成18年12月22日の記事「ポトマックへの手紙」、として投稿されている河瀬謙一氏の記事を見つけました。
 平成18年3月にワシントンD.C.にて最初に植えられた桜の前で東京品川の「妙華園」河瀬春太郎氏の曾祖孫にあたるご本人が米国出張の途上でポトマックの河畔を訪れ、公園レインジャーのカーク・パトリックさんとタミー・スカルツキーさん(06年の桜祭り実行委員会副委員長)の歓迎を受けたこと、そして3月6日付けのワシントンポスト紙に紹介された写真が掲載されています。

  ソメイヨシノは寿命が短いといわれていますが、この写真で見る限り100年近くの年月を経て今もこのような見事な大木になって花をつけています。

 新聞記事の表題も
  
「In D.C.Cherry Trees,  a Testament to his Own Roots -
   首都の桜、彼のルーツの証

 
として河瀬氏が当日同行されたNPSの公園レンジャーの方(上記の2名)がタイダル貯水池周りの最初に送られた桜に対面している写真が紹介されています。
 河瀬さんは現在三鷹市でNPO団体、三鷹SOHO倶楽部の代表をされております。ここのホームページとのご縁で、これまでにも桜に関する色々な情報をいただきました。

 また1912年に桜が贈られて今年2007年は95周年を迎えます。 そんな中で、2012年の100周年を迎える年には、当時の桜贈呈事業に関係ある日本の町から桜祭りへの訪問団を送るなどなにか意義あるイベントをしたいですね。
(写真をクリックすれば拡大表示します。)

nps.gov National Malls & Memorial Paks ワシントンD.C.内のモール、公園案内。
案内地図のページ(PDF)

 1912 February 14, 3,020 cherry trees of 12 varieties were shipped from Yokohama on board the S.S. Awa Maru, bound for Seattle. Upon arrival, they were transferred to insulated freight cars for the shipment to Washington.
March 26, 3,020 cherry trees arrive in Washington, DC. The trees were comprised of the following varieties:  

Prunus x yedoensis "Yoshino" . . .     1800
Prunus serrulata "Ariake". . . . . . . .   100
"Fugenzo" . . . . . . . . . . . . . . . .  120
"Fukurokuju". . . . . . . . . . . . . . .   50
"Gyoiko". . . . . . . . . . . . . . . .    20

*以下の明細記述はNPSのページが記述修正により修正しました。H18.4.9 
"Ichiyo".............................................  160
"Jo-nioi"............................................. .. 80
"Kwan-zan"......................................... 350
"Mikuruma-gayeshi" ........................ 20
"Shira-yuki"....................... ............... 130
"Surugadai-nioi".......... ........................, 50
"Taki-nioi"............................................. 140

Total . . . . . .             3,020

March 27, First Lady Taft and the Viscountess Chinda, wife of the Japanese Ambassador, planted the first two cherry trees on the northern bank of the Tidal Basin, about 125 feet south of what is now Independence Avenue, SW. The first two trees planted were Yoshino cherry trees. At the conclusion of the ceremony, First Lady Taft presented a bouquet of "American Beauty" roses to Viscountess Chinda. Washington's renowned Cherry Blossom Festival had its inception in this simple ceremony, witnessed by only a few persons. These two original trees are still standing today several hundred yards west of the John Paul Jones statue at the south end of 17th Street. Located at the bases of the trees are large bronze plaques which commemorate the occasion.

 
NPSの記録ではソメイヨシノはじめ12種3020本の苗が到着しています。

1912年2月14日に3,020本、12種類の桜苗木が横浜から阿波丸に積み込まれシアトルに出航しました。到着後これらの苗木はワシントンへ向け、冷蔵貨車で運ばれました。
 3月26日、3020本の桜苗木はワシントンDCに到着。
苗木の明細分類は以下の通り:
  ソメイヨシノ。。。。    1800本
  有明。。。。。。。。。   100本
  フゲンゾウ。。。。。。   120本
  福禄寿。。。。。。。。。   50本
  ギョウイコウ。。。。。。。  20本

 (ギョイコウはすべてホワイトハウス敷地に植えられました。)

  イチヨウ。。。。。。。。。   160本
  ジョニオイ。。。。。。。。    80本
  カンザン。。。。。。。。    350本
  ミクルマガエシ 。。。。     20本
  シラユキ。。。 。。。。。   130本
  スルガダイニオイ 。。。    50本

  タキニオイ。。。。。。。    140本
  合 計  。。。。。。。。。3,020本 
  
 3月27日に、タフト大統領夫人と米国駐日珍田大使夫人はタイダル貯水池の北側土手、約125フィート南の現在はIndependenceSW 通りに最初の2つの桜を植樹しました。
 植えられた最初の2本の桜はソメイヨシノでした。 式典の締めくくりに、タフト大統領夫人は「アメリカンビューティ」のバラの花束を珍田大使夫人にプレゼントしました。 ワシントンでの有名な桜祭りの発端はほんの数人の人々が立会い行われたこの簡単なセレモニーがはじまりです。
これらの2本のオリジナルの木は、17番通りの南端にあるJohn Paul Jones像から数100ヤード西に今日いまなお立っています。
木の下には当時を記念する大きい青銅の飾り板があります。(以下省略 -仮翻訳:ページ制作者)





ワシントンD.C.へ贈られた12種類の桜。
追記:H.24.3.27
(クリック拡大表示)











左の写真は、1912年3月28日付のワシントンポストの記事。タフト大統領夫人とごく一部の関係者で植樹式は行われた。

 記事にあるように植樹式はunofficial(非公式)であったと記述されています。
  ちなみに同時期にニューヨークへ贈られた桜の植樹式の式典は盛大に行われた。




<<ワシントンの桜について参考となるページ >>

米国議会図書館の「3月27日ー今日は何の日」のページにはタフト大統領夫人と珍田大 使夫人による植樹式が紹介されています。
http://memory.loc.gov/ammem/today/mar27.html

On March 27, 1912, First Lady Helen Herron Taft and the Viscountess Chinda, wife of the Japanese ambassador, planted two Yoshino cherry trees on the northern bank of the Potomac River Tidal Basin in Washington, D.C. The event celebrated the Japanese government's gift of 3,020 trees to the United States.
 ワシントンD.C.の桜に関するQ&Aのページ。

 現在のNPS(公園管理局)桜の歴史( Cherry Blossom Festival)のページ
 
     上記サイトの(History of the Cherry Trees  A4 12ページ) PDF

追記(2012.4.18)
 ワシントンの桜の詳しい経緯はNPSの桜の歴史の他以下の文献が非常に参考になります。
 1977年米国農務省発行(PDF A4サイズ80ページ)
 Roland M. Jefferson and Alan E. Fusonie. The Japanese Flowering Cherry Trees of     Washington, D.C.  : A Living Symbol of Friendship. Washington, D.C.
   http://naldc.nal.usda.gov/download/CAT78696066/PDF

桜寄贈100周年を迎える2012年は米国議会図書館(LOC)で3月20日~9月15日まで特別展
 (Sakura: Cherry Blossoms as Living Symbols of Friendship)が開催されました。

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4.その後のワシントンの桜 
clinton1.jpg  194 9年以降毎年恒例行事として桜の開花時期にあわせて、首都ワシントンでは盛大に「桜まつり」が開催されています。 3月末から4月はじめにかけて2週間にわたり様々なイベントがあります。 恒例の行事として、大統領夫人の植樹式や、日本文化紹介事業、パレードなどが行わclinton3.jpg れます。 
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植樹式でのヒラリークリントン大統領夫人。写真:Gateway Japanより。
 
  1999年の「桜まつり」開催予定は3月28日から4月11日まで行われます。パレードや「さくらの女王」が選ばれるほか様々な日本の文化紹介行事も予定されています。 大統領夫人の植樹ではじまるこの行事は、いまでは、春を告げる行事として全米各地はじめ海外からも多くの観光客を集める一大イベントとしてすっかり有名になっています。

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5.アメリカから贈られた花(ハナミズキ Dogwood)
 その後アメリカから桜の御礼として1915年(大正4年)にスイングル博士(農務省)がアメリカの代表としてハナミズキ(白花種)苗40本を日本へ持ってこられた。
(日本にアメリカ・ハナミズキが渡来したのは、この時が最初。)
参考:アメリカハナミズキ(写真) 花ことば---返礼
    
 ・写真をクリックすれば拡大します。

 NHKテレビ番組で紹介された東京中野区に住む峰与志彦(64)氏が、あるきっかけで調べたところ、いまから82年前の大正4年にアメリカの使節が白い花水木の苗木40本をたづさえて来日し、その2年後さらにピンクの苗木12本が贈られた。当時の記録によると、確かに日比谷公園など都内の公園や植物園に植栽されたが、太平洋戦争を境に「敵国の贈り物」はその所在が不明になってしまった。 
 そこで峰さんの5年にわたる原木捜しが始まりました。その結果だけを紹介すると、生き残りの原木にほぼ間違いないと思われる一本が、東京大学付属の小石川植物園に健在である。幹周り1メートル、高さ8メートルの老木であるが、今年も白い花を咲かせたという。
(参考文献:手島悠介著 友情の二つの花 岩崎書店)
参考:峰氏の原木探しによりアメリカから贈られた原木であると断定してよいハナミズキ。
 1.東京都立園芸高等学校(世田谷区)     白花      2本
            (今回の伊丹での植樹用孫苗採取木)
 2.農水省果樹試験場・興津支場(清水市)   白花      1本
 3.東京大学理学部付属(小石川)植物園(文京区)白花   1本
 *それ以外は原木でないかと推定されるハナミズキが全国に数ヶ所あり、まだまだ峰氏の原木探しは続きます。

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追記:H20.5.10
 興津の果樹試験場に勤めれておられた柏市在住の山口昭氏から農業試験場に贈られたハナミズキに関する写真記事をいただきました。山口氏からは興津試験場でのワシントンの桜記念碑建立の紹介記事などこれまでにも桜に関する情報をいただておりました。
 説明によると「この写真は、興津で「ワシントンのサクラ記念碑」を建立した翌年(1993)に創立90周年記念式典の一環として発行した「農林水産省果樹試験場興津支場 名木案内」という小冊子に載っているものです。従って、この写真は日本に来て73年になる古木ということになります。熊谷八十三翁の回顧録によると、このハナミズキ(白花)は、1915にスイングル博士(Dr.W.T.Swingle)が持参されたとあります。スイングル博士はカンキツの分類学者として有名な方で、たびたび来日され、ペカンやアボカドの苗木も持参されたとあります。(右の写真を拡大表示ークリック)
 このように当時贈られたハナミズキは全国の各地で大樹(老木)となって育っています。

追記:H20.6.2
 
の左の写真にある興津のハナミズキの根本にある碑文看板の写真が山口昭氏から送られてきました。内容は解説文と同じです。(クリック拡大表示)

     

追記:H28.8.8 静岡新聞:興津と戦争(戦前)「ワシントンの桜」の祖(静岡戦後70年)
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 1996年4月26日には東京の尾崎行雄記念館でこのハナミズキ贈呈80周年記念式が開催されました。 (紹介新聞記事より。)

American Dogwood marks 80 years in Japan
In celebration of the 80th anniversary of the arrival of goodwill plants from the U.S., Tokyo will host a two-day festival next month to promote the significance of the role the gifts had in enhancing  amicable bilateral relations, organizers said March 8.  The American Dogwood 80th Anniversary  Festival will be sponsored by the festival committee,  along with the Ozaki Yukio Memorial Foundation, the Japan Cherry Blossom Association and the Japan-America Society. It will take place  at Kensei Kinen hall in Tokyo's Nagata-cho district onApril 26 and 27.
  Dogwoods were first introduced to Japan in 1915 by the U.S. government in return for 3,000 cherry trees presented to Washington by Tokyo Gov. Yukio Ozaki in 1912, according to the committee.
Ever since, Washington's cherry trees have been nurtured by American citizens -- even through World War II -- and Potomac Park is now noted for its cherry blossoms. Prince Tomohito, PrimeMinister Ryutaro Hashimoto, U.S.Ambassador Walter Mondale, Tokyo Gov. Yukio Aoshima and other noted figures will participate in the opening and in tree-planting ceremonies on the first day of the festival. More than 1,000 people from both Japan and the U.S., promoting dogwoods, cherry trees and friendship between the two countries will attend the two-day event. The festival also will feature concerts, film shows and tanka and haiku recitals.

 (Japan times March 8 1996 ジャパンタイムス96年3月8日付記事より。)

      アメリカハナミズキは日本で80年の歴史
 米国から親善の樹木が贈られて80周年記念の祝賀にあたり、東京都では、友好的な両国関係に重要な役割を果たした贈り物の意義を深めるために、来月2日間のフェスティバルを予定していることを3月8日に関係者より発表されました。
 このアメリカハナミズキ80周年記念フェスティバルは日本桜協会と日米協会、尾崎行雄記念財団の後援により東京永田町の憲政記念館で4月26,27日に開催されるものです。
  ハナミズキは1915年に米国政府が1912年の尾崎行雄東京都知事がワシントンへ3000本の桜を贈ったお返しとして贈られ、はじめて日本に紹介されました。 以来ワシントンの桜は、第2次世界大戦中の間もアメリカ国民に育てられ、そしてポトマック公園はいまや桜の名所となっています。 寛仁親王、橋本総理大臣、モンデール米国大使、青島東京都知事はじめ来賓者は式典初日の開会と植樹式に参列される予定です。ハナミズキと桜と両国の友好を促進するために、日米あわせて1000人以上が2日間のフェスティバルに見込まれています。イベントはコンサートや映画、俳句や短歌の句会などが呼び物となっています(仮翻訳:ページ制作者)    
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6.むすび

 平成11年1月6日付の産経新聞夕刊
近畿版で伊丹市内の郷土史研究グループ「ぐりんぷす」のメンバーである内堀睦夫氏の活動が紹介されています。
 「 ぐりんぷす」の努力によりこの歴史的なハナミズキの苗木が 東京都立園芸高校 から伊丹へ送られてきました。
 その苗木はメンバーの伊丹市内の中島農園の協力により植樹までの間、同園で一時的に保管されました。


 7.荻野小学校でのハナミズキ植樹式

1999年2月20日(土) 午前9:00
 地元東野村がある「荻野小学校」でマークル米国総領事をお迎えし、このハナミズキの植樹式が行われました。当日は粉雪が舞う冬の寒い天気でしたが、植樹式がはじまった午前9時すぎには幸い薄日が差しこみ植樹式が無事行われました。

 また植樹式に先立ち、全校生徒が体育館に集り内堀氏やマークル総領事のすばらしい日本語でのスピーチを通じて「ワシントンの桜」について認識を新たにし感激しました。 8人の生徒代表と伊丹市長、伊丹市議会議長、伊丹市国際友好都市協会会長はじめ地元の方々が校庭内花壇に植えられたハナミズキにスコップで土をかけました。そして、歴史を書いたハナミズキの顕彰碑の除幕を行いました。

          
 
植樹式で児童代表と伊丹市議会議長、        荻野小学校生徒代表と
伊丹市長、米国総領事               マークル米国総領事 

      
校長先生と生徒代表、内堀氏           顕彰碑の除幕。
   
                日米友好のハナミズキ (碑文より。)
  明治45年(1912)、日米友好親善の掛け橋として、
米国ワシントンD.C.へ桜の苗木三千本が贈られました。
その桜は、ワシントンのポトマック河畔で毎年美しい花を咲かせています。当時、その苗木の接ぎ木台には、伊丹市東野産の桜が選ばれ、村中こぞって台木づくりをしました。
 大正4年(1915)、桜のお礼に、米国から日本へハナミズキ四十本(白花種)が贈られてきました。ここに植えられているハナミズキは、今なお東京都立園芸高等学校で華やかに咲く原木から採った子孫樹です。 
この地に植樹して、日米友好親善に尽くした先人の遺徳をしのび、その偉業をたたえます。     
 平成11年(1999)2月20日  
           伊丹市立荻野小学校    
           伊丹市東野花木生産組合  
            伊丹市文化財保存協会   
                  H.11・2.21付朝日新聞阪神版
       *記事および左の碑文の写真ををクリックすれば拡大します。   cline.gif (2424 バイト)

  伊丹市国際友好都市協会による交流会
植樹式の当日、伊丹第一ホテルでは昼食時に伊丹市国際友好都市協会の主催により、交流会が開催され日米友好のシンボルとして送られたハナミズキについて認識を深めました。
 午前中に顕彰碑の序幕式を終えて、地元関係者はじめ、東野花木生産組合、伊丹市国際友好都市協会員、国際ソロプチミスト伊丹、郷土史研究グループや、緑化活動されている宝塚緑の風の皆さん、そしてはるばる福井から越前松平家福井事務所長などハナミズキに縁のある方々も列席されました。 
   当日の式式次第。 (クリック)     当日の参加者一覧。 (クリック)

 マークル駐大阪米国総領事から流暢な日本語で荻野小学校の児童にワシントンの桜についてスピーチをいただき、また交流会にも引き続き桜について基調講演をいただきました。
 この植樹式に尽力された方々や関係者の紹介があり、地元からは 縁のある久保武兵衛氏の曾孫にあたる武久氏夫人、久保儀子様 (国際ソロプチミスト伊丹会員)はじめ多くの関係者が伊丹とワシントンの桜、ハナミズキの歴史について大いに認識を深める有意義な時間となりました。  

 また植樹式では地元から総領事に「南京桃」が贈られました。
「南京桃」は東野地域の特産というより今ではすっかり伊丹の特産品として有名になり、毎年3月には即売会など開かれています。
 この伝統の植木どころである東野で作られる「南京桃」について花木生産組合員から改めてその説明があり場内は盛り上がりました。

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         米国ワシントンD.C.の桜物語(2)へ

8.その後の出来事 このホームページの反響
9.原産地記述の修正要求 台木生産地伊丹の記述要求について
10.伊丹市が紹介される 米国国立公園管理局(NPS)の桜の歴史ページ
11.追記(ポーツマス条約) 原不二子女史のスピーチ(追記)
12.追記(小学校用副読本) 東野村の苗木作りと桜の歴史について
13.追記(宝塚市の国際交流) 冊子「山本の花と緑」・ハナミズキについて
14児童図書に東野村が紹介される 岩崎書店の図書にハナミズキが紹介される。
15 .アメリカに桜を咲かせた人たち 横浜市在住の石田三雄氏の冊子
16.先人顕彰劇第11作 いたみホールで公演(ワシントンの桜物語)
17.読売新聞で紹介される。 先人顕彰劇とHP修正の記事が紹介
18.伊丹市へ里帰り苗が届く 日本さくらの会よりNCSSの寄贈苗が到着
19.2004年の桜まつり その後の反響(2004年の桜祭り)
20..2005年の里帰り桜 伊丹の里帰り桜が2年目にして開花する。
21.2006年の桜紹介記事 東野賛歌・武兵衛の曾孫、久保武久氏の桜満開
22. 2007年の桜紹介記事 ワシントンD.C.の桜
23. 2008年 桜の話題 武兵衛梅が紹介される。
24 2009年 桜の話題   2009年 桜の女王静岡市訪問。
25 2010年 桜の話題   江北の五色桜-荒川堤の桜ガイドブック。
26 2011年 桜の話題   映画『さくら、さくら - 高峰譲吉の生涯-』
27 2012年 桜の話題   日米友好の桜寄贈100周年
28. 2013年 桜の話題   米国から寄贈の返礼のハナミズキ植樹
29. 2015年 桜の話題    尾崎行雄を全国に発信する会がマップで紹介

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