伊丹再発見シリーズ  -若山牧水と伊丹 - 
 

 幾山河 越えさりゆかば寂しさの 
         終てなむ國ぞ けふも旅行く

                              
若山牧水

 若山牧水といえば、だれもが知っている歌人で、この短歌は人生の旅をする放浪の歌人と言われた彼の生きざまが感じられます。
 
 若山牧水は1885年(明治18年)宮崎生れ。延岡中学校から早稲田大学に進む。中学時代から創作活動を始め、43歳までの生涯に約8,700首の短歌を詠んでいます。旅に出ては歌を作り、紀行文を書いては生活の糧としました。
 「明星」派とも、正岡子規、伊藤左千夫とともに結成した「アララギ」派とも別個の存在をなした作風は、近代短歌史のなかでも自然主義の象徴的存在とされ、旅と酒を愛した国民的歌人として、人間や自然への溢れる想いを歌い、日本の短歌史に偉大な足跡を残した歌人でもあります。
(写真は沼津の牧水記念館のページより引用。)


 「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」
の歌のごとく牧水は旅を愛し、放浪の果てに沼津に落ちつきました。
1928(昭和3)年の初秋、病で床に伏し、衰弱したなかでも微かに眼をあけ、酒を望んだというが、若くして1928(昭和3)年9月17日病で逝く。 

 43歳の短い人生で彼は生涯酒をこよなく愛しました。なんと一日の酒量は、朝2合、昼2合、夜6合、1日合計1升を飲む大酒豪であったといわれています。一ヶ月に四斗樽一本でも足りなかったそうです。

 
 ”酒なしにして何の楽しみ
     それ程にうまきかと人の問うたらば
         何と答えん此の酒の味

  一杯を思い切りかねし酒ゆえに
     今日も朝より酔くらしたり
         いざいざと友に杯すすめつつ
            泣かまほしかり酔はんど今夜”


 その生涯には、発表されたものだけで15冊の歌集があり、約6900首収録されているが、なんとそのうち酒を詠ったものが200首にも及びます。

 若山牧水ゆかりの生誕の地宮崎県日向市には牧水記念文学館、そして居をかまえた沼津千本松原にも牧水記念館があります。
 若山牧水と伊丹の関係ですが、彼は
とりわけ伊丹の酒白雪を愛し、その愛した白雪の歌碑が、伊丹郷町の小西酒造本社横の長寿蔵の前に建てられています。

手にとらば 消なむしら雪
 はしけやし  この白雪は
        わがこころ焼く



解説:伊丹の歌碑めぐりのページより。

手に取るとすぐにも消えてしまうと思われる白雪、この白雪は私の心をこがさずにはおかないのです

 碑文の「
はしけやし」は「いとおしい」という意味です。

 またこの歌では嬉しいことに、伊丹の
銘酒の「白雪」をブランド名で直接詠み込まれている
 酒豪といわれる多くの文人墨客が伊丹を訪れていますが創業450年をむかえる小西酒造の「白雪」は江戸時代から有名ブランドのひとつでありました。こよなく酒を愛した若山牧水は酒に関する多くの歌を残していますが、直接ブランド名を歌に入れて詠むほどに「白雪」は酒豪の牧水のお気に入りであったことがうかがえます。。
 中でも銘酒を賛える歌の中には待ちにまった大好きな伊丹の酒が送られてくる喜びをよく表しています。

”津の国の伊丹の里ゆはるばると 白雪来るその酒来る”
 

 また伊丹は酒の町というイメージはすでに明治の初期には定着しており全国の鉄道沿線の町を歌で紹介する鉄道唱歌にも伊丹が登場しています。

 東海道編61番
  
「神崎よりはのりかへて ゆあみにのぼる有馬山
           池田伊丹と名にきゝし  酒の産地もとほるなり」


 その名に聞きし「伊丹の酒」ですが,すでに伊丹は高級酒の産地として、江戸時代初期には確固たる地位を築いていました。『摂津名所図会』には「酒匠の家六十余戸あり、みな美酒数千斛をつくり」と記され、『日本山海名産図会』では第一巻の最初に伊丹の酒造りが紹介されているほど高名であった。「文禄・慶長年間(1592〜1615)に始まり、江戸に送って大評判となった」旨が記されています。
 当時、江戸に送られた伊丹の高級な酒は「くだりもの」といわれ有り難がられていました。現代語の「くだらぬもの」という表現はこの「くだりもの」の逆で、「江戸に送らない品質の落ちる物、下級品」という意味から生まれたエピソードがあります。

 なにはともあれ伊丹の酒造りは元禄期に最盛期を迎えましたが、それはまた裕福な酒造家は元禄文化のパトロンとして華やかな上方の文化を発展させた陰の功労者でもありました。頼山陽や鬼貫など伊丹にはほんとうに多くの文人墨客と縁があります。

 余談になりますが、ここのサイトでも紹介していますが、伊丹にゆかりのある歌人といえば
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」で有名な正岡子規もその一人です。
 彼の、雅号の子規とはホトトギスの異称で、血を吐くまで鳴くといわれるホトトギスに例えたものであります。 子規の妹律が正岡家を継ぎ、母方のいとこの加藤忠三郎を養子に迎えます。 司馬遼太郎の著作
「ひとびとの跫音(あしおと)」において伊丹のことが描かれています。


追記:H29.4.19(2017.4.18 産経Westページより。)
 歌人の若山牧水のはがき、酒蔵「白雪」へのお礼だった 
 兵庫県伊丹市立博物館は18日、所蔵する歌人、若山牧水(1885〜1928年)の自筆はがきが、市内にある日本酒「白雪」の製造元にお礼の趣旨で送ったものと分かったと発表した。
 宮崎県日向市の若山牧水記念文学館に調査を依頼し、このほど判明したという。 
(はがきはクリック拡大表示)

ことば文化都市−伊丹
 日本3大俳諧コレクションと称される柿衞文庫を有する本市においては、俳句文化活動が盛んに行われています。
 現在、文字・活字文化振興法が施行され、ことばに対する社会的な取り組みが求められているなかで、俳句から、更に、ことば(日本語)文化を大切にする活動を行うことが重要となっています。 市民一人ひとりがことばへの関心を高め、心豊かなまちづくりを推進するため、「ことば文化」をテーマとした事業展開を図り、これにより、まちの活性化や、「ことば文化都市」としての都市ブランドづくりに取り組んでいます。