伊丹再発見シリーズだんじりの魅力ー 
 (奉納された鴻池神社のだんじり。 H.14.9.23撮影)   追記:H27.10.13
  
 
 

2010年12月4日 鴻池の兄弟だんじり(小濱、川面東)が集結し曳行(リンク)

 秋といえば、日本人ならだれもが知っている唱歌「村の鎮守の神様の今日はめでたいお祭り日。。。。」という歌詞にその郷愁を誘われますが、都市化がすすむ伊丹でも、地域によってはまだまだそのような昔ながらの素朴な地域の秋祭りが
市内各地で伝承され息づいています。
 また関西圏の祭りには地車(だんじり)がつきもので、そのルーツは京都の祇園祭りとか言われています。最近とみにだんじりの持つ魅力が見直され、各地であらたに青年団を復活させたり地車保存会などが作られコミュニティづくりの促進にだんじりのもつ魅力が注目されています

 
 
鴻池だんじり保存会の紹介ページ (リンク)H20.11.15

 
子供のころ太鼓の音を聞いて胸がときめき、夜遅くまで曳いた思い出や、遠くから聞こえる太鼓や鐘の音、若い頃に心を合わせて重いだんじりを担ぎ練り歩いた体験など、そこには地域の人々が共有する秋祭りの記憶や魅力があります。
 このような住民が一体となって行なわれる秋祭りが出来ることはその地域住民の誇りでもあります。
 そこには村の連帯があり地域をささえる長老の理解と豊かな経験が応援となって祭りを企画運営する保存会の若者集団の情熱があふれ、そして祭りを見る子供たちのときめきや驚き、各戸からの祝儀や炊き出しなど地域ぐるみの協力や支えがあってこれらの行為が祭りをさらに盛り上げていく。実にいいものですね。 
 そして秋祭りのしきたりや伝統行事をさらに次の世代へと継承し受け継がれていくことにその意義があります。
 情報化社会と言われますが、日々の営みの中で、イベントを通じて人と人とのふれあいとコミュニケーションができて新たな絆をつくりあげて地域をささえる源泉となります。地域社会のつながりが希薄になりがちな昨今ですが、地域で行なわれるこのような祭りは人々の連帯感と地元への愛着と誇りをさらに深める大切な行事の一つです。


追記:西宮市でも前西宮市長馬場順三氏を会長に市内4地区のだんじりが集結して連絡協議会が結成され地域間交流のイベントがされています。 西宮地車連絡協議会紹介記事より。PDF(HCC阪神文化創造会議
No.87.2003.1号ークリック



伊丹経済交友会発行のいたみティVol54 2003年1月号で紹介。
 左の写真をクリックすれば拡大します。

平成15年10月13日午後9:00 恒例の宮入前「にわか」(鴻池センター前)にて伊丹市長ほか来賓の挨拶をいただき鴻池神社への宮入となりました。 

13日は早朝5:00から午後10:00までの巡行予定がありました。「地車保存会」のみなさん。お疲れ様でした。
 (下の写真はクリックすれば拡大表示します。 ←で戻ります。)

jH.15.10
鴻池秋祭

地車巡行予定表
(Click拡大)

 平成16年は伊丹蔵楽部(岡田邸築330年記念)により10月11日に「鴻池担探訪と祭り見学」
   行事がきららホールから鴻池地区内を見学。9月12日のシンポジュームと同様に時代衣装をつけて盛り上げ、清酒発祥の地碑前で「鴻池郷」のふるまい酒が行なわれました。 
  *10月10日付毎日新聞阪神版で紹介されました。
     (クリック拡大表示)

   
   
 (参考)伊丹市内のだんじりの状況
  (詳しい情報お持ちの方メールください。)
 かっては伊丹市内の各地域でだんじりを中心ににぎわっていた鎮守の森のお祭り。鴻池だけでなく、各地域でもその効用が見直され地元の人々の熱い想いで復活してほしいものです。

山車・だんじり悉皆(しっかい)調査のぺージより引用(リンク)
 
全国各地の地車の調査はじめ地車についての総合的な情報があるすばらしいページです。.

追記:嬉しいニュースをいただきました。 宮前まつり復活!猪名野神社の布団太鼓は復活しました。
 地元の西田慶介氏から嬉しいメールをいただきました。
 「宮前まつりという名の祭を立ち上げ今年(2006年)は10月9日)、宮ノ前の布団太鼓は復活しております。それどころか昨年、太鼓台を新調いたしまして、伊丹で一番の祭に成長しつつあります。
(写真:クリック拡大表示)
        
 2006年10月9日の記念写真(クリック拡大)
            
  2007年11月 伊丹だんじり・みこしフェスティバルが開催される。(リンク)


  2010年12月4日 鴻池歴史顕彰事業前夜祭で兄弟ダンジリ3台曳行
    伊丹市制施行70周年記念事業として、鴻池に縁の深い鴻池新右衛門生誕440周年を
    記念した歴史顕彰事業が開催され、その前夜祭に兄弟ダンジリが鴻池地区内で曳行
    されました。
   

    
   
    *上の写真は「だんじり小屋」のページより引用。

  <<兄弟ダンジリについて -鴻池だんじり保存会紹介パンフより。>>

鴻池、小濱、川面東の三台地車は、なぜ兄弟地車なのか、
 をここで簡単に紹介します。
この三台の地車のルーツは当時、宿場町で栄えた現宝塚市小濱地区にあります。

 時は1684(真率元年)当時小濱には二白の地車があり、人々は地車の勇壮な姿、太鼓・鐘の音に魅了され大いに盛り上がっていました。ついには二台では物足りなくなり、小濱の大工により三台目の地車が作られました。三台となった事で地区分けされ、西・東・北と区別されるようになりました。

地区分けが明確になると、当然対抗意識が強くなり、次第に秋祭りは喧嘩祭りへとその性格を変えていきこの頃から死傷者が出るようになりました。時代も江戸から明治に移り警察の目も厳しくなる中も、喧嘩祭りは激しさを増していき、おのずと死傷者も増えていきました。
 
その死傷者の補償金などを工面するため、明治
8(1875)北地区の地車を鴻池へ売却し明治14(1881)には、東地区の地車を川面東へ当時100円で家が1軒建った時代に525円で売却されました。この様なことから、鴻池・小濱・川面東の三台の地車は、元々小濱地区で曳行されていたので、兄弟地車といわれている。

 *解説の続きは下の紹介パンフを見てください。(クリック拡大)
       

    動画などで関西の多くのだんじりを紹介されている「だんじり小屋」のページ(リンク)

    今回の鴻池新右衛門生誕440周年記念・歴史顕彰事業の紹介ページ(リンク)

    *Youtube より引用。
      
 
    2015年は鴻池新右衛門生誕445周年になります。 鴻池商工会では期間限定販売
     で清酒純米吟醸「鴻池」を(株)エビスで発売。(クリック拡大)
        
               


伊丹市内で確認されている各地区のだんじり・みこしの現状(悉皆調査より。
下記の一覧表は資料が古いいため最新の悉皆調査のページを参照してください。(H27.10.13修正)

住所  神社名 祭礼日 内容 備考
伊丹 猪名野神社 10/13、14 布団太鼓 宮ノ前
 最盛時では布団太鼓(宮ノ前)太鼓(植松、昆陽口、尼崎市猪名寺、清水)地車(中少路、大手町、湊町)が出た元禄16年(1703)に始まったお渡りは人手不足を理由に昭和38年を最後に姿を消した。
追記:地元では2005年太鼓台を新調され、宮前まつりとしていたみの中心市街地で一番のにぎやかな祭りとして復活しました。写真参照。
【地車廃絶】
湊町
=昭和47年7/16に市に寄贈。現在は市立博物館の地下倉庫に解体保存。
古くは文久2年(1862)の記録あり
大手町=平成元年に尼崎の有志が地車を購入し尼崎市本一の地車にしようとするが老朽化激しいため断念。しかし彫物の一部に使われている。
清水町=現在は尼崎市清水町(塚口地区)の地車。
荒牧字島の角18-1 天日神社 11/2、3 地車1台   
住吉型。明治23年頃創建。大工は大佐。
 ≪大屋根廻り≫鬼板は「獅噛み」。隣懸魚は「青龍」。
 ≪見送り廻り≫三枚板:正面は「加藤清正の勇戦」、右は「後藤又兵衛の勇戦」。左は「木村又蔵の勇戦」。
泥幕:前、左右は?。後ろは「那須与一扇の的」。 幟台は「力士」。 地元には若中会があり秋祭を運営。
鴻池字村西 鴻池神社 10/連休の土日 地車1台 元・宝塚市小浜の地車 
明治14年、宝塚市小浜が川面に525円で売却。その後鴻池に売却。平成14年、植山工務店で修復。地元にだんじり保存会があり、保存会が中心となって秋祭りを運営
西野北1 素盞鳴神社 10/連休 地車1台 堺型 
堺型。大工不詳。彫師は西岡某。平成6年、復活。
昆陽4-1 東天神社 10/連休 太鼓   
昆陽字中の宮10 西天神社 10/連休 太鼓   
寺本字西中町36 猪名野神社 10/初旬(元・11 地車1台   
昭和初期に地元の大工により西ノ町、東ノ町、中ノ町の3台の地車が出来るが、経済的理由で2台を泉州地域に売却。
千僧2-151 天神社 10/25 地車休止 昭和15年の伊丹市発足記念には出た。 
大鹿 西皇大神社 10/16 太鼓  
東野5-75 春日神社 10/20 太鼓(東野) 大野は太鼓廃絶。昭和2,30年代か? 
御願塚3丁目10-5 須佐男神社 10/23 太鼓
御願塚には北宮、中宮、南宮があったが、新幹線工事により中宮用地がなくなり北宮へ移転、南宮は御願塚古墳がある。現在北宮での太鼓と猿面が残っている。
岩屋字町田152-5 八幡神社 10/22 太鼓  
森本2-197 加茂神社 10/22 太鼓    
口酒井字東川原13 春日神社 10/22 太鼓   
鋳物師1-103 ひじ岡天満宮 11/3 太鼓3台   
4人乗りを現在使用。8人乗りは昭和期に使用。1台は解体保存。板勾欄、土呂台はあるが、4本柱より上が無い。
荻野7-131 春日神社 11/3 太鼓    
【大阪空港開設により解村した村】
小阪田=氏神の伊居多神社は昭和16年1月末に池田市の穴織神社に合祀した。戸数は52戸だった。
 例祭日は10/17、18で太鼓が出た。
中村=昭和39年5/20に69戸の村人は素盞鳴神社で解村式を行う。ちなみに在留期限は6月末だった。
 当地は10/23に太鼓を出した。また8/24に行燈行列を行った。
★展示場     
伊丹市博物館  伊丹市千僧1丁目1-1 ℡ 0727-83-0582   9:30~17:00 “地下1階に昭和47年に寄贈の旧・湊町の地車を解体保存”

追記:湊町のだんじり
 現在博物館に解体保存されている湊町のだんじりは昭和47年7月22日に今の市庁舎が開庁式を行った際に地元から博物館までひかれてきた記事(市広報昭和47年8月1日号)がありました。
 当時はハチマキ,ハッピ姿の子供たち約70人に地元から新庁舎まで引かれて開庁を祝賀し、博物館入りをしたとのことが紹介されています。記事中の記述では将来復元する予定とのことですが、地域力で実現できれば嬉しいですね。また8月1日号にはこの開庁式のことと8月1日から受付業務が開始されたことが掲載されています。(記事はクリック拡大表示。)

追記2:港町のだんじり製作年の矛盾について?
 このページをご覧になった地元の方から市広報記事と、紹介している悉皆調査の記述はどちらが正しいの?とのご指摘を受けました。たしかに広報記事では製作年を安政5年(1858)と記され悉皆調査の文久2年(1862)と異なっています。
そこで伊丹市博物館で当時のことを知っておられる方に質問しました。
その結果『地域研究いたみ』22号77頁には「追記」として、「なお、この湊町のだんじりは、昭和47年7月16日、伊丹市の新庁舎が落成した日に町の人たちによってはるばる千僧まで曳かれ、市に寄贈された。」と書かれている記事があることを教えてもらいました。
 そして併せて製作年についてもご丁寧に以下のメールをいただきました。
製作年について
・ 地車そのものには製作年は記されていません。
・ 博物館刊行の『地域研究いたみ』21・22号に、「湊町天王講永代帳」(当時湊町の自治会 長佐藤清二氏蔵)についての分析が書かれています。
天王講は当時牛頭天王とよばれた猪名野神社に関するもの講組織のことです。永代帳によると、文久2年の項に「太鼓当番の節」、翌3年の項には「御祭礼之節地車差出し候ニ付」という記述がありますので、文久3年には湊町に地車があったことになります。
 太鼓は猪名野神社祭礼の先頭を飾る太鼓のことで、この祭礼行列は元禄16年から始まります。当初は太鼓・猿田彦・神輿であったものが後代には華やかになっていき、地車も加わっていったようです。
・ 昭和30年10月、猪名野神社秋季大祭の後、湊町福祉会(会長岩田幸吉)によって書かれた「湊町有地車復活に就いて」という呼びかけ文によると、その冒頭に「当町有地車は、今から凡そ百三十年の昔天保年間の製作にかかり・・・」と記されています。
・ 博物館蔵の地車の製作年は天保年間(1830~44)まで遡る可能性がありますが、裏付ける根拠がありません。確かなところでは文久3年(1863)には存在していたということでしょうか。安政5年(1858)についての記述は見当たりませんでした。
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 以上の回答をいただきました。仕方のないことですが、博物館での文献や地元の方でもこの程度のことしか判らないのは当然です。だから様々な説が出てくる訳ですが地車に墨書きか彫刻で記載されていない以上、製作年は推測の域を出ません。もっとご存知の方がおられたら教えてください。
 
 伊丹市湊町のだんじりが市役所の落成記念に寄贈された時の貴重な記念アルバムの写真コピーをいただきました。(能田昭男氏提供)

*だんじりを壇尻と表記されています。

  ”だんじり”には「壇尻」や「楽車」のほか、「台尻」、「地車」、「花車」、「屋台」など多くの漢字が当てられいています。道教や密教で「祭場」や「塚」を意味する「壇」を引きづる意味から、だんじりになったとする説などあり、正確な語源は未詳。これらに語源をもとめることは無意味である。(語源由来事典より。
 
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追記:第2回宝塚だんじりパレード 平成24年11月10日(土)宝塚末広中央公園
   宝塚市内各地区のだんじり19台が集まりました。 (クリック拡大表示)

    

ページを充実させるため、伊丹市内各地区で地車などに関する情報があればメールください。