伊丹人物再発見シリーズ(1-梶井基次郎と伊丹-
「梶井基次郎生誕百年記念講演会」
      講 師 大谷晃一(帝塚山学院大学名誉教授)
日 時  10月27日(土) 午後2:00〜入場無料 
場 所 みやのまえ文化の郷・伊丹郷町館(旧岡田邸)
主 催 (財)伊丹市文化振興財団・伊丹市 
後 援 伊丹市芸術家協会・伊丹市文化財保存協会
   

9月29日〜10月18日 記念展示会 (大阪市立中央図書館)
 
伊丹ゆかりの作家といえば、みなさんよくご存知の方は昨年文化功労賞を受けられた田辺聖子女史。
 そして「泥の河」や「彗星物語」などの宮本輝氏、と最近はさらに好評の大阪学シリーズなどでユニークな視点で大阪の事があればマスコミにコメントされている大谷晃一氏です。
 大谷晃一氏の著作「評伝梶井基次郎」がありますが、31歳でその才能を惜しまれつつ天折した天才作家梶井基次郎は今でも中学や高校の教科書に登場する短編集「檸檬(レモン)」はじめ昭和6年に伊丹で書かれた「交尾」など数々の名作を残しました。亡くなる数年間、伊丹在住の兄の家に身を寄せ友人などへの手紙など当時の伊丹の情景も残しています。
 梶井基次郎がこの伊丹に住んでいたことをご存知でしょうか。今年は生誕百年を記念して大阪市立図書館でも記念展示やゆかりの方による「梶井と文学の仲間たち」をテーマにフォーラムが予定されています
 伊丹市千僧3丁目に建てられた梶井基次郎の歌碑。
(市内山本氏のホームページより)
MapFanV地図ソフトより(伊丹市千僧付近引用)
居住地のあった近くの西善寺公園入口に歌碑が建立されています。「禁烟日記」の一節が碑文になっています。 大阪市立中央図書館では写真パネルで伊丹時代の解説がありました。

 9月28日付毎日新聞(近畿版)夕刊記事より。
大阪市立中央図書館での記念展示の紹介。ならびに杉山平一氏(詩人)の梶井基次郎についての詩的感性そして「檸檬」の一節が刻まれた大阪市西区の靱(うつぼ)公園の写真。彼の代表作品の論評が掲載されています。(記事クリックすれば拡大表示)

「梶井基次郎の略歴」松岡達也氏の「梶井基次郎の世界」より引用。

明治34年(1901)0歳
2月17日、大阪市西区土佐堀通5丁目に、父宗太郎、母ひさの次男として生まれる。父は大阪の商家の出で、当時は安田運搬所勤務。母も大阪の商家に養女として育ち、幼稚園の保母をしていた。5歳年上の姉富士、2歳年上の兄謙一がいた。父方の祖母、母方の祖父と同居。9月、異母弟網干順三生まれる。

明治44年(1911)10歳
5月、父が安田系の鳥羽造船所営業部長となり、一家は三重県志摩郡鳥羽町の社宅へ。(『過古』に転居時の情景が描かれている)鳥羽尋常小学校5年生に転入。生活にも自然にも恵まれた日々。(遺稿「海」にこの頃の回想がある)この年順三の母親が病没し、順三と養祖母は一家に同居。

大正2年(1913)12歳
3月、全甲の成績で小学校を卒業。4月、兄と同じ三重県立第四中学校に入学。宇治山田市の兄の下宿先に入る。四中で楽譜の読解を教えられる。6月、祖母、肺結核で死亡。この頃、基次郎をはじめ兄弟達に感染したらしい。10月、父が大阪の安田鉄工所に転勤、家族は大阪市北区に移る。

大正2年(1913)12歳
3月、全甲の成績で小学校を卒業。4月、兄と同じ三重県立第四中学校に入学。宇治山田市の兄の下宿先に入る。四中で楽譜の読解を教えられる。6月、祖母、肺結核で死亡。この頃、基次郎をはじめ兄弟達に感染したらしい。10月、父が大阪の安田鉄工所に転勤、家族は大阪市北区に移る。

大正8年(1919)18歳
3月、成績中位で北野中学卒業。この年兄が卒業した大阪高等工業学校を受験、失敗。(習作『帰宅前後』にこの頃の様子が描かれている)父の知人の娘で、高等女学校3年生の美少女(池田ツヤ)に憧れ、友人や兄に恋の気持ちを訴える。7月、第三高等学校理科甲類に合格。8月、兄と富士登山。10月、寄宿舎北寮に入る。飯島正・中谷孝雄と同室。音楽や文学に親しみ、授業に出なくなる。書簡に梶井漱石・梶井潤二郎の署名が見える。

大正15年・昭和元年(1926)25歳
1月、『過古』発表。飯島正、同人に参加。中谷と熱海・箱根に遊ぶ。2月、『雑記(講演会其他)』掲載。編集当番、青空社は飯倉片町の堀内方に移る。3月、「青空」『編集後記』。4月、外村と飯倉片町の島崎藤村宅を訪ね、「青空」を献呈。三好達治、同人に参加。5月、逗子に結核療養中の飯島を見舞う。6月『雪後』発表。「同人印象記」に『惣那に就いて』『飯島に就いて』。7月、『川端康成第四短篇集「心中」を主題とせるヴァリエイション』発表。8月、『ある心の風景』発表。病状進み、血痰を見る。12月、『編集後記』と『青空語』。卒業を断念、転地療養のため伊豆へ。31日、湯ヶ島温泉落合楼に泊まる。

昭和2年(1927)26歳
1月1日、湯本館に滞在中の川端康成の紹介で、湯川屋に移る。川端が湯ヶ島を去る4月までよく訪ねる。「青空」を献呈、碁の相手をしたり、作品集『伊豆の踊子』の校正を手伝った。中谷・外村・淀野らが見舞う。2月、『冬の日』前半を発表。同じ号の三好の詩や北川の短詩『馬』を絶賛。3月、湯本館へ結核療養にきた、藤沢桓夫を知る。4月『冬の日』後半を発表。

昭和4年(1929)28歳
1月4日、父死去。享年59。『資本論』などマルクスの著作を読み始める。3月、河上肇の公演を聴く。夏、映画や海水浴に出かける。12月、北川冬彦の新刊詩集について『詩集「戦争」』を「文学」に発表。

昭和5年(1930)29歳
1月初旬、肺炎で寝込む。ゴーリキーなど読書盛ん。2月、武田麟太郎の『ある除夜』に刺激されて、西鶴を読み始める。下旬、母肺炎で入院。3月、初旬より床に臥せる。下旬、母腎臓炎で入院。4月、母を看護。25日、母退院。5月、弟勇が結婚、母と兵庫県伊丹の兄謙一方へ移る。6月、『愛撫』を北川・三好らの「詩・現実」創刊号に発表。9月、『闇の絵巻』を「詩・現実」第二冊に発表。28日、兄一家と共に兵庫県川辺郡稲野村字千僧に転居。

昭和6年(1931)30歳
1月、『交尾』を「作品」に発表。流感で寝込み、春過ぎまで寝たり起きたりの生活。創作集の出版に三好と淀野が尽力。4月、校正刷りから『橡の花』を削除。5月、作品集『檸檬』刊行。北川の推薦で「中央公論」より原稿依頼。7月、「作品」で『檸檬』の「誌上出版記念会」。8月『檸檬』の印税75円受け取る。1月、上海事変勃発。3月、満州国建国宣言。5月、犬飼首相暗殺される(五・一五事件)。三好達治『鴉』を「改造」に発表。

昭和7年(1931)31歳
1月、『のんきな患者』を「中央公論」に発表。正宗白鳥が「朝日新聞」・直木三十五が「読売新聞」の時評で取上げる。2月、小林秀雄が「中央公論」で梶井基次郎を論じる。
鴎外の史伝に親しむ。古い大坂の町を好むと告げる。3月、容態悪化。23日、夕刻より意識不明瞭。夜、苦痛を訴える。母に諭され、死を覚悟する。24日、午前2時永眠。僧職にあった異母弟順三が読経。25日、自宅で告別式。戒名、泰山院基道居士。南区中寺町常国寺に墓がある。

松岡達也氏の「梶井基次郎の世界」へ(クリック)

 10月27日には市内宮ノ前文化ゾーンにあるみやのまえ文化の郷・伊丹郷町館(旧岡田邸)にて大谷晃一先生の特別講演があります。
 伊丹にゆかりの深い作家「梶井基次郎」の生誕百年にあたり開催される特別講演を通じて認識を深めたいと思います。