ハナミズキと桜は日米友好のシンボル
 ハナミズキといえば思い浮かべるのは一青窈(ひととよう)さんの歌でしょうか。 はじめて名前をみてもなかなか「ひととよう」とは読めません。
 ウイキペディアで彼女の略歴を調べてみると彼女の父は台湾人、母は日本人。父は台湾九份の金鉱経営で成功し、台湾の5大財閥に数えられた顔一族の長男・顔恵民。戦前から戦後にかけて日本に長く滞在していた父と母が出会い、台湾で妙と窈が生まれた。 日本語・英語・北京語を話せるトリリンガルです。姓の「一青」は母の出身地である石川県に地名としても存在します。(石川県鹿島郡中能登町一青、2005年2月28日までは石川県鹿島郡鳥屋町一青)姓の一青と同じ名前の吟醸酒「池月 一青(ひとと)」が鹿島郡中能登町一青の鳥屋酒造株式会社から発売されている。 幼稚園卒園後に父を台湾に残し、母・姉と日本で生活することとなる。小学生2年の時に父が癌で死去。 以降、母の姓の一青を名乗る。彼女の 『ハナミズキ』の歌は2004年にリリースされてから、この歌はよく知られるようになっ た。 
ハナミズキYoutube一青窈(演奏)
 台北の観光名所といえば九份(九ふん)なしでは語れないほど人気の場所になりました。どこのツアー案内パンフにも提灯で飾られた九份の街並みの写真が紹介されています。 私も以前に台湾ツアーでガイドさんから道中の車内で一青窈さんの解説があり、はじめて彼女のことを知りました。 ここ九份はかっては金鉱山の町として賑わった所。ここから見る基隆湾の夜景は最高です。台湾映画『非情城市』の舞台であり、近年では『千と千尋の神隠し』の世界に似ていると話題になり、ノスタルジックな雰囲気を味わえる街として必ず観光コースに入っています。

 ハナミズキ(Dogwood)  花水木  アメリカヤマボウシ
   ―花言葉「私の思いを受けてください」「返礼」「永続性」
 

 ハナミズキ(花水木)はアメリカを代表する花木で、カナダのオンタリオ州からアメリカのマサチューセッツ州、テキサス州、メキシコ北東部にかけて分布します。正式な和名はアメリカヤマボウシですが、別名のハナミズキのほうがよく知られています。
 アメリカヤマボウシはアメリカ産のヤマボウシ、ハナミズキは花のきれいなミズキという意味合いです。ヤマボウシ〔Cornus florida L〕は日本にも分布する落葉樹で、庭木などに利用されます。花の姿も似ていますが、ヤマボウシは苞の先端がとんがるので花どきは容易に見分けが付きます。英名はドッグウッド(dogwood)もしくは(flowering dogwood)です。
 これは木を煎じた液で犬の皮膚病を治療した事にちなんで名付けられたと言われています。また他の説としては、dogは古英語で短剣を意味するdaggeのことで、この木は材質が固く武器などに利用されたからだとも言われます。 花言葉の「返礼」は、1912年に東京市長がアメリカに桜を寄贈した際のお返しとして、日本にハナミズキが送られたことに由来します。
 歴史を紐解くと、1912年、当時の東京市がアメリカにサクラを贈り、その返礼として1915年にアメリカから白花種のハナミズキが寄贈されたのがはじめとされています。さらに2年後の1917年には赤花種が贈られました。当時贈られた木はほとんど残っていないそうです。
 届けられたハナミズキは全部で60本。うち白花の苗木が40本、ピンク花の苗木が20本だった。
 1915年4月に、植物学者スウィングル博士が、米政府代表として来日、40本の白の苗木を東京市(当時)に手渡した。
 スウィングル博士が来日した際に以前から博士とは学術交流のあった粘菌の研究で知られている天才的な博物学者、和歌山の南方熊楠に渡米を要請しましたが、熊楠は固辞したため、代わりに著名な植物学者の田中長三郎が米国に行くことになった逸話があります。

 伊丹市東野で育苗された桜苗木(台木)が米国ワシントンへ送られた物語は1999年2月の荻野小学校でのハナミズキ植樹から始まります。



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 このイベントとの出会いが契機となって私はWebサイトの中でワシントン桜物語を立上げました。
 「ワシントン桜物語 アメリカと日本の友情を深める花」(リンク)のページがあります。
ハナミズキ*そのページの中から引用します。
  NHKテレビ番組で紹介された東京中野区に住む峰与志彦(64)氏が、ハナミズキについて米国であるきっかけで調べたところ、それは桜の御礼に大正4年にアメリカの使節が白い花水木の苗木40本をたづさえて来日し、その2年後さらにピンクの苗木12本が贈られた。当時の記録によると、確かに日比谷公園など都内の公園や植物園に植栽されたが、太平洋戦争を境に「敵国の贈り物」はその所在が不明になってしまった。 
 米国では桜を大切に育てられているのにハナミズキのことは知らなかった。そこで峰さんの5年にわたる原木捜しが始まりました。
 その結果だけを紹介すると、生き残りの原木にほぼ間違いないと思われる一本が、東京大学付属の小石川植物園に健在である。幹周り1メートル、高さ8メートルの老木であるが、今年も白い花を咲かせたという。 (1997年による。調査は1990年:参考文献:手島悠介著 友情の二つの花 岩崎書店)

 参考:峰氏の原木探しによりアメリカから贈られた原木であると断定してよいハナミズキ。
 1.東京都立園芸高等学校(世田谷区)     白花      2本
 2.農水省果樹試験場・興津支場(清水市)   白花      1本
 3.東京大学理学部付属(小石川)植物園(文京区)白花    1本
 *それ以外は原木でないかと推定されるハナミズキが全国に数ヶ所あり、まだまだ峰氏の原木探
   しは続きます。

 その後、興津支場のものは枯死、園芸高校の1本も1996年に台風で倒れ、小石川植物園の木も、下記のWebによると1990年代に雪害により裂けて菌が入り枯死して、切り株だけが残されたそうです。

 ちなみにこの切り株は、尾崎咢堂を記念した衆議院憲政記念館に展示してあるそうです。

    (小石川植物園で枯死したハナミズキの切り株)

 ということは、確実に原木といえるのは、現在では都立園芸高校の1本だけということになります。
 この原木は現在でも健在で、高さはおよそ8メートルあり、通常の街路樹として見かけるものの倍近くあるそうです。高校では、この原木から次の世代を作出してあちこちに贈っているそうで、現在ある日比谷公園のハナミズキも園芸高校の原木から作出されたものです。
 アメリカからやって来たハナミズキは今や日本全国に広まり、いたるところで街路樹として植栽され人の目を楽しませてくれています。
 このように桜とハナミズキは100年にわたる日米両国の友好の証しとなっているのである。ハナミズキの花言葉は「私の想いを受けてください」。一青窈(ひととよう)が歌う「ハナミズキ」にあるように、ハナミズキはこれからの百年も、平和を願う人に愛され続けることでしょう。

米国から友好の桜寄贈100周年となる2012年にハナミズキ3000本が贈られる。

 2012年は日米友好の桜寄贈100周年にあたる年であり、この年には日米両国で桜にちなんだ様々な記念イベントが各地で開催されました。その中で当時野田首相が訪米したレセプションでヒラリークリントンから米国国務省と日米交流財団の共同事業として、米国から日本にハナミズキの苗木 3,000 本が贈られ発表がありました。 2012 年から伊丹市はじめ日本各地へ贈呈されで植樹されています。

 この二国間の友情をこれほど象徴しているものはありません。それは、日本からの三千本の桜の樹で、百年間、春を迎えております。ワシントンで日本の国民から、アメリカは、百年前に、三千本の桜の樹を、友情のシンボルとして、贈り物として貰いました。 今晩、私は、米国民から日本の皆様にプレゼントとして、3000本のハナミズキの贈呈を発表することを嬉しく思います。
(拍手)
 
ヒラリークリントン長官のスピーチより

    
 
  2014年に伊丹市にも20本のハナミズキが届いて瑞ヶ池公園に植樹されました。
   今年2019年2月に確認したところ3本はすでに枯れたのかありません。17本が健在です。
 
      
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   東京都立園芸高校では2015年4月10日、キャロライン・ケネディ駐日米大使も臨席されて、日米友好の記念樹「ハナミズキ百年祭」が行われました。
  同時に、日本郵便は同日、「米国からのハナミズキ寄贈100周年」の記念切手が発売されたが、これは日米同時発売という、日本郵便としては初めての試みでもありました。

 また引続き5月15日には、一青窈が都立園芸高校に招かれ、ハナミズキ百年祭の事業の一環として開催された式典に列席されました。、 樹齢100年のハナミズキ原木と対面し、「ハナミズキ」を熱唱しました。
 日本がアメリカへ日米友好の証として桜を贈った返礼としてハナミズキが贈られてから100年目となる今年。
 その当時の苗木40本のうち、現存が確認できる最後の1本が、東京都立園芸高等学校で育っている。樹齢100年のハナミズキ原木と対面を果たした一青窈。さらには、日本にまだ2本しかないという“スターライト”という新種のハナミズキの苗木を植樹しました。
 都立園芸高校では学校創立110周年を記念しこの原木から増殖した接木で110本のハナミズキを育苗しました。日米友好の桜にゆかりのある場所や団体への関連のある場所への寄贈や桜とハナミズキを通じて米国の高校との交流なども実施していく計画です。      
   
   
  
   平成31年2月9日東京世田谷の東京五輪米国選手団キャンプ予定地で
     都立園芸高校で接木されたハナミズキ子孫苗を植樹。
  
      
      
   日米友好桜にゆかりの深い伊丹市にも都立園芸高校より2本のハナミズキが贈ら
    れました。(平成31年2月)    
         
    
市内の公園植木圃場で一時養生。接木された箇所のあともきれいに接がれています。

 東京都立園芸高等学校より送られてきたハナ ミズキの説明書。

 学校の創立110周年にちなんで110本のハナミズキを原木から採取して接木により増殖したとの説明があります。

 平成31年3月22日にこのハナミズキは市内瑞ヶ池公園の日米友好ワシントンの里帰り桜の近くに植樹されました。


   平成31年3月22日10時~ 日米友好の桜の近くの瑞ヶ池公園内、貯水池南側フェン
   ス沿いに東京都立園芸高等学校から贈られたハナミズキの植樹式がおこなわれました。
   都立園芸高等学校同窓会会長の宗村秀夫さんからハナミズキの経緯や米国派遣事業
   などハナミズキを通じて実施されている様々な活動について聞くことができました。

        


   5月1日号記事伊丹市広報(第1396号(8))

  
  都立園芸高等学校の初代校長熊谷八十三氏の年譜が110周年記念誌に掲載されておりま
 した。2回目の米国への桜寄贈にかかわり無事苗木育成事業を成功させました。

   
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 *東京都立園芸高等学校の英語表記について
 以前伊丹市でワシントンの桜物語のパンフ(日・英語併記)を作成する際に園芸高等学校の校名の英語表記に苦慮し学校 のホームページを参考に園芸をロ
ーマ字表記の”Engei”のままになっていたのを知って、パンフでもTokyo Metoroporitan Engei High School としました。園芸は日本の文化であり日本人の植物に対する自然観です。110周年事業で米国での植樹式の次第でもEngeiと学校名に表記されていました。

      
   米国アーリントン・キャリアセンター植樹式  伊丹市の桜紹介パンフ             植樹後のハナミズキ

  
日米友好の桜物語では、1999年2月に都立園芸高等学校からハナミズキの苗木をいただいて東野地区ゆかりの荻野小学校に植樹して広くアピールしたことを紹介しています。 そして今回、記念の返礼ハナミズキの子孫樹もまた伊丹の地で育つことは多くの皆さんに史実を知っていただく上で非常に意義深いものがあります。
  里帰り桜とともに「ワシントンの桜は伊丹産」をアピールしていく上でこれからも大事に育てていきたいものです。